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江戸時代にもあった宮廷の大スキャンダル“集団密通” が発生⁉「猪熊事件」とは【大江戸かわら版】

大江戸かわら版【第10回】


現在、人気を博す韓国や中国の時代劇でも描かれる宮廷スキャンダル……。江戸時代の江戸城大奥でもスキャンダルはいくつも発生していた。ここでは、そのなかでももっとも大規模であり、もっとも有名な延命院(えんめいいん)事件が江戸のかわら版がどう伝え方を紹介する。


 

光源氏(右の男性)を想起させる「天下無双」の美男子だったという猪熊教利。(『源氏五十四帖十榊』/国立国会図書館蔵)

 

 大奥の女中たちと日蓮宗寺院の住持などが、白昼堂々と密通を繰り返したスキャンダル「延命院事件」は、徳川幕府の大奥の問題だったが、同じ頃に朝廷でも密通事件があったことをかわら版は伝える。

 

 それは、徳川幕府成立後の慶長14年(1609)7月のことである。朝廷に仕える若い公家と女官たちが密通し、破廉恥な行為に走っていたことが露見した。それも1人や2人ではなく、分かっているだけで公家9人、女官5人という集団密通事件であった。それだけに、後陽成(ごようぜい)天皇はじめ朝廷のすべてに与えた衝撃は大きかった。最終的には徳川家康も乗り介入する大事件に発展していく。

 

『源氏物語』の昔のように、気高い男女が性を享楽する時代は終わっていたから、いくら朝廷の公家・女官といえども、自由気儘な性(フリーセックス)を楽しむことは許されなかった。

 

 かわら版によれば、事件を主導したのは若い公家・猪熊教利(いのくまのりとし)という大納言・四辻公遠(よつつじきんみち)の息子。26歳であった。猪熊は、名前こそ恐ろしげな姓だが、その帯の結び方や髪型が「猪熊様(いのくまよう)」として、流行し、男たちは皆その風体を真似たという男性ながら時代の先端を行くファッションリーダーであった。しかも美男子であり、女にもてた。事件の2年前にも宮仕えの女性と問題を起こし京都から追放されていたが、再び舞い戻って事件を起こした。

 

 他に事件に連座した男たちの中には、当時最も有名な歌人であり文化人として知られた烏丸光広(からすまるみつひろ/32歳)などもいた。この烏丸が最も年長であり、後は23歳から28歳の公家、女官はもっと若かったはずである。

 

 このうち11人(公卿7人・女官4人)が、密会した様子は仮名草子『花山物語』に詳しい。それによれば、公卿の1人・兼保頼継(かねやすよりつぐ)の宿所に集まった男女は猪熊の提案でれぞれがクジを引き、付き合う相手を決めた。女1人に対して男2人という組み合わせもあれば、男女一対の組み合わせもあった。結局は、部屋の中で全員がフリーセックスを楽しんだのである。これは氷山の一角で、このようなフリーセックスの宴が毎夜のように開かれていたらしい。

 

 事件が発覚したのは、誰かからの軽口によるものであったらしい。事件を知って激怒した後陽成天皇は、捕縛した全員を死罪という内旨(ないし)を出した。しかし、この事件を知った徳川家康が介入した。その結果、公家では猪熊・兼保の2人は死罪。烏丸・徳大寺実久(とくだいじさねひさ)の2人は赦免、他は流罪となった。

 

 女官たち5人は、伊豆の新島と御蔵島への流罪となった。「楽しみの付け」は重く厳しいものとなった。

 

 なお、家康はこの事件をきっかけにして、武家勢力による政治のイニシアティブ取りにあったと思われる。

 

 この宮廷における一大スキャンダル事件は、別名「猪熊事件」とも呼ばれる。

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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