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妻がいながら大胆に女遊び! それでも憎まれなかったカリスマ・伊藤博文の”スゴい人徳”とは(明治のゴシップ)

炎上とスキャンダルの歴史

■妻のいる屋敷で、かわるがわる芸者と…

 

 新橋の樋田千穂は孫娘にも「つまらない男と結婚するくらいなら、一流の男の妾(めかけ)になりなさい」と教えていました。彼女の回想録には、小吉時代の思い出として、小田原の自邸・滄浪閣(そうろうかく)まで大阪から呼ばれたときの逸話が出てきます。

 

 伊藤は、小吉と文公という2人の芸者を出張させ、「夜は大抵かはるがはるご用をつとめ」させていたらしいのです。「かはるがはる」というのは、2人同時という意味ではありません。

 

 セックスが非番の芸者は「今夜はおのしは退って休むがよい」といわれ、隣の部屋で寝ていると、セックスが終わった時、伊藤が枕元の鈴を「チリリーン」と鳴らすので、そこからは伊藤を真ん中に3人が川の字になって一つの蒲団で寝たそうです(樋田千穂『新橋生活四十年』)。

 

 これを毎日、一つ屋根の下に正妻・梅子がいる屋敷で行っていたのですから、伊藤博文の胆力には驚いてしまいますね……。

 

■芸者から好かれていた伊藤

 

 現代的な視点からは炎上要素しか見当たらない伊藤の行動ですが、彼になんともいえない魅力と人徳があるせいで、夜伽(よとぎ)の相手までさせられていた芸者たちから非難の対象にされていない点は驚かされます。その理由はいったいなんだろうかと考えると、思い出されるのが次の逸話です。

 

 尾道(現在の広島県)から伊藤の世話で上京し、新橋の「竹伊東」という店にいた玉蝶という芸者は床上手だった反面、夜尿症でした。伊藤は時間を決めて玉蝶を起こし、厠(かわや)に連れて行ってやったそうなのですが、この手の逸話が深く関係した女性の数だけあったのではないでしょうか。

 

 芸者たちから何かねだられた時、伊藤は必ず「よろしい」と言うので「よろしいの御前」というニックネームがついていたことも有名です。

 

 また、たんに気前がよくて優しいだけでなく、小柄な伊藤には大きなカリスマ性が備わっていたので、「他の男たちと並んでいてもひときわ伊藤は大きく見えた」などの証言もあり、玄人の女性たちから心底好かれてしまっていたことは事実のようです。

 

画像出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)

 

 

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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