×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

【偉人メシ】明智光秀の愛妻「汁講」ものがたり

偉人メシ


毎日元気に過ごすために、全体に欠かせないことの1つが食事! わずか11日間ではありますが天下を獲った明智光秀も、日々食事をとっていました。「教科書に登場する“あの”偉人はどんなご飯を食べていたんだろう?」という疑問を、彼らの好きだった食べ物からひも解いていきます。


 

 

■「偉人メシ」ってなに?

 

「歴史は苦手!でも料理や食べることは大好き!」というキッズたち、教科書に登場する歴史上の人物たちが食べていたといわれる料理を作ってみませんか?

料理を監修してくれるのは、食事復元研究の第一人者で御年91歳ながら現役で大活躍中!食文化研究家の永山久夫先生!

「でも、偉人たちが食べていたご飯では、今のボクたちの味の好みとは合わないかも・・・」そんな不安を解決してくれるのは、人気料理研究家のきじまりゅうたさん! 令和版にアレンジした栄養満点&映える『偉人メシ』に、ぜひ親子でチャレンジしてみよう!

今回は、「本能寺の変」で有名な明智光秀。彼はいったいどんなご飯を食べていたんだろう?

 

 

■明智光秀って、どんな偉人?

 

滋賀県大津市にある坂本城址公園で琵琶湖を見つめる明智光秀像。

清和源氏の土岐氏の支流(本家から分かれた分家)・明智光綱の子として生まれたとされる光秀。美濃(現在の岐阜県南部)の斎藤家に仕えましたが、長良川の戦いで明智城を攻め込まれ、一族は離れ離れに。その後、越前(現在の福井県北東部)の朝倉家に仕えたのち、織田信長の家臣となります。信長に忠誠を誓っていたはずの光秀ですが、本能寺の変では信長を裏切り、自害に追い込みます。しかし天下を獲ったのもつかの間、わずか11日後に山崎の戦いで敗れ、逃亡中に討ち取られました。

 

 

■浪人時代の光秀が楽しんだ「汁講」

 

「汁講」を再現

 

 【材料】(6人分)

  イノシシ肉(あるいは豚バラブロック):300

  ※写真は豚バラブロック

  里芋:500g 

  ごぼう:大1本 

  長ネギ:1本 

  水:1.5ℓ 

  八丁味噌:大さじ6 

  玄米(五分づきの玄米):2合分

 

 【作り方】

  ①里芋は皮をむいて半分か4等分に切る。

   ごぼうは皮をむいて乱切りに、豚肉は5mmの厚さに切る。

  ②上記の具材を鍋に入れて、水を注いで火にかける。

   煮立ったら弱火にして20分煮る。

   ぶつ切りにした長ネギを入れて、八丁味噌をとく。

 

 

■明智光秀の愛妻「汁講」ものがたり

 

戦国時代の明智光秀(1528〜1582年)は、兵法(軍学・兵学)に通じた智将ですが、それらは長い流浪生活を通し、行く先々の城下町などで学んだものです。

 

いずれは自分の天下を出現させようと、野心を秘めて情報集めをしていたのです。光秀の欠点はプライドが高いうえに、神経質で小心な点にありました。

 

その頃の光秀は、貧乏ではありましたが、熙子(ひろこ)という立派な妻がいました。光秀には浪人仲間がいて、「汁講」という鍋料理の会を時々行っていました。鋼を囲みながら酒を飲み、情報交換をする、団結を深めるための会合です。

 

当番制で行いますが、光秀の番になったものの、お金がありません。困っていると「まかせて下さい」と言って、妻が出かけていきました。

 

しばらくして、イノシシや鹿、山鳥などの肉、それにネギ、大根、ごぼう、酒、味噌など山ほどの材料を背負って帰ってきましたが、頭には布を被せていました。

 

久し振りの肉がたっぶり入った味噌味の鍋料理と酒に、友人たちは大満足です。「次回も光秀殿に頼めたらうれしいのォ。ワッハッハ!」などと笑いながら帰っていきました。

 

厚手の鉄鍋で現代のシチューのような仕上がりだったはずで、とくに肉の塊がやわらかくて美味だったに違いありません。武士は本能的に肉を好みます。戦うための、体中の筋肉が強化されることを知っているからでしょう。

 

さて。夫婦二人きりになって、光秀がどこに金があったのだろうと、不審に思い問いただすと、妻が被り物をとりました。なんと頭は丸坊主。髪の毛を売って食材を調達していたのです。光秀は生涯、側室(地位・身分の高い人が妻以外に養う女性)を持つことなく、妻を心より愛しました。

 

後に主の織田信長を本能寺で倒し、天下獲りの一歩手前まで行きましたが、豊臣秀吉の攻撃を受けて敗れ、敗走中に農民に殺害されてしまいます。この出来事があり、わずかな期間しか権力を保てないことを「三日天下(みっかでんか)」と呼ぶようになりました。

 

 

 2021年12月号『歴史人』より


監修/永山久夫

ながやま ひさお/1932年福島県生まれ。食文化史研究家。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究も行う。新聞や雑誌、テレビなどでも活躍中。

 

料理監修/きじまりゅうた

きじま りゅうた/1981年東京都生まれ。料理研究家一家の三代目。男性のリアルな視点から家庭料理を提案している。NHK「きじまりゅうたの小腹すいてませんか?」を始め、

テレビや雑誌等を中心に活躍中。

 

KEYWORDS:

過去記事

永山久夫ながやまひさお

1932年福島県生まれ。食文化史研究家。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究も行う。新聞や雑誌、テレビなどでも活躍中。

最新号案内

『歴史人』2025年11月号

名字と家紋の日本史

本日発売の11月号では、名字と家紋の日本史を特集。私たちの日常生活や冠婚葬祭に欠かせない名字と家紋には、どんな由来があるのか? 古墳時代にまで遡り、今日までの歴史をひもとく。戦国武将の家紋シール付録も楽しめる、必読の一冊だ。