【偉人メシ】絶世の美男子!森蘭丸が主君・織田信長と共に食べた『鯛の切り身塩焼き』を再現してみた
偉人メシ
毎日元気に過ごすために、全体に欠かせないことの1つが食事! 織田信長の側近・森蘭丸も、日々食事をとっていました。「教科書に登場する“あの”偉人はどんなご飯を食べていたんだろう?」という疑問を、彼らの好きだった食べ物からひも解いていきます。
■「偉人メシ」ってなに?
「歴史は苦手!でも料理や食べることは大好き!」というキッズたち、教科書に登場する歴史上の人物たちが食べていたといわれる料理を作ってみませんか?
料理を監修してくれるのは、食事復元研究の第一人者で御年90歳ながら現役で大活躍中!食文化研究家の永山久夫先生!
「でも、偉人たちが食べていたご飯では、今のボクたちの味の好みとは合わないかも・・・」そんな不安を解決してくれるのは、人気料理研究家のきじまりゅうたさん! 令和版にアレンジした栄養満点&映える『偉人メシ』に、ぜひ親子でチャレンジしてみよう!
今回は、最期まで信長に献身的に仕えた森蘭丸。彼はいったいどんなご飯を食べていたんだろう?
■森蘭丸って、どんな偉人?

「太平記英勇伝」「六十六」「森蘭丸長康」 ©東京都立図書館
織田信長に仕えた古参(ずっと以前からその職や地位に就いていること)の武将・森可成(もりよしなり)の三男で長可(ながよし)の弟。
絶世の美男子だったともいわれ、父の戦死後、信長に育てられ、信長の小姓(武将の身辺に仕え、身の回りの雑用を務める役)として仕えました。
奏者や奉行の要職を務め、最側近として信長から特別な愛情を受けますが、本能寺の変(天下統一目前まで来ていた織田信長が、家臣の明智光秀の裏切りにより襲撃され、自害した事件)で弟の坊丸、力丸と共に討死しました。
■主君・信長と共に食べた『鯛の切り身塩焼き』

鯛の切り身塩焼き
【材料】 鯛切り身 塩:小さじ1/4 生姜の細切り:適量
【作り方】 ①鯛に塩をふり、魚焼きグリルで焼く。 ②生姜を添える。
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■「刀使いの達人」森蘭丸の筋肉強化食
森蘭丸は、気性(きしょう)の激しい織田信長の小姓として、常に信長から離れることなく仕えていました。
側近になったのは15歳くらいの時で、機転が利くだけではなく、武芸にも優れ、特に刀使いの達人といわれていました。当然のことながら、ガードマンとしても群を抜いて優れた能力を発揮し、信長からの信頼も極めて厚かったのです。
食事も一緒にとる場合が多く、信長の好みにもよく似て、白身の鯛を好んだようです。切り身にして塩で味付けしたものを焼いた料理です。
鯛の20パーセント強はタンパク質で、武士にとって欠かすことのできない強い筋肉を体につけるために役立ちます。しかも状況判断など、頭の回転をシャープにするうえで重要なDHA(ドコサヘキサエン酸)や、血行を良くするEPA(エイコサペンタエン酸)もたっぷり含まれていて、鯛はまさに武士向きの魚といえるでしょう。
信長は鷹(たか)狩りが好きで、森蘭丸もよく一緒に出かけており、出先での食事は味噌(みそ)にぎりめしと、キジや鴨(かも)肉などの串(くし)焼きでした。
鶏肉のタンパク質もしっかりとり、さらにそれらの胸肉にはアンセリンやカルノシンという成分が豊富に含まれています。両方とも鶏肉に多い機能性成分で、アンセリンは脳の働きを活性化する作用があり、カルノシンは主に筋肉に働きかけてその機能を高めたり、身体の老化を防いだりする作用で知られています。
夏はよく野生のノビルをとっては生味噌をつけて食べ、滋養強壮(じようきょうそう)効果で夏バテを防いでいたとも伝えられています。
天正10年(1582)に起こった本能寺の変で、信長を守るために奮戦(ふんせん)しますが、信長は倒れ、森蘭丸も討ち死にしてしまいます。まだ18歳という若さでした。
歴史人2023年7月号
監修/永山久夫
ながやま ひさお/1932年福島県生まれ。食文化史研究家。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究も行う。新聞や雑誌、テレビなどでも活躍中。
料理監修/きじまりゅうた
きじま りゅうた/1981年東京都生まれ。料理研究家一家の三代目。男性のリアルな視点から家庭料理を提案している。NHK「きじまりゅうたの小腹すいてませんか?」を始め、
テレビや雑誌等を中心に活躍中。