×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

「体」をはって他の戦車を進撃させる自走仮設橋【チャーチルARK】─戦車ビフォー・アフター!─

戦車ビフォー・アフター!~ニーズが生み出した異形の装甲戦闘車両たち~【第4回】


戦車が本格的に運用され「陸戦の王者」とも称されるようになった第二次世界大戦。しかし、戦車とてその能力には限界がある。そこでその戦車をベースとして、特定の任務に特化したAFV(装甲戦闘車両)が生み出された。それらは時に異形ともいうべき姿となり、期待通りの活躍をはたしたもの、期待倒れに終わったものなど、さまざまであった。


【After】
イタリア戦線で、2両重ねて溝の中に落ち込み、その上を戦車型のチャーチルを通過させているチャーチルARKイタリアン・パターン。いちばん下になっている本車には相当の重量が加わっているはずなので、かなりの損傷を蒙っているはずだ。

 不整地走行用の民需品として開発された無限軌道(キャタピラ)を、戦場における泥濘(ぬかるみ)をはじめとした不整地でも難なく走り抜け、塹壕(ざんごう)や掩体壕(えんたいごう)のような溝も一定の幅以内であれば乗り越えてゆくことができる走行装置として、砲や機関銃を載せて装甲を施した車体に装備した軍用車両が戦車である。

 

 とはいえ、戦車が乗り越えられない幅の小川や、あえて「戦車の落とし穴」として掘削された対戦車壕は、戦車でも容易には走破することができない。このような場合は、工兵が架設橋を設置して車両の通行を可能にするが、作業には時間がかかるうえ、敵の攻撃下での施工ともなれば、工兵にも犠牲が生じる恐れがある。

 

 そこで、「生身」の工兵とは違って装甲を備えた戦車に仮設橋を載せて現場まで運び、できるだけ「人間」が敵の攻撃を受けない作業条件下で、短時間にそれを設置することが考えられた。

 

 この発想は、戦車を保有する多くの国で具体化されたが、イギリス軍は「その先」を行くことを考えついた。それは、戦車そのものを「仮設橋」にしてしまうというものだ。

 

 橋となる戦車は、さすがに対戦車砲で撃たれれば危険だが、機関銃や小銃で猛射されてもやられる心配はない。そして、味方の戦車や車両を渡らせたい小川なり溝まで自走し、自らその中に落ち込んで、車体の上を別の車両を走らせて通過させるのである。

 

「戦車の上を戦車が走る」という荒っぽい運用なので、この目的に使用される戦車は、なによりも頑丈でなければならない。次に、敵の弾雨の中を前進するので、重装甲であることが求められた。そのため、車体のサイズが小さく幅の狭い壕しか渡らせることができず、装甲も薄い軽戦車は除外された。

 

 このような条件に基づいて白羽の矢が立てられたのが、チャーチル歩兵戦車であった。同車は低速だったが重装甲で車体構造も堅牢、全長も長かったので、この役割にぴったりだったのだ。

 

 こうして、チャーチルの砲塔を撤去。砲塔開口部を塞ぎ、左右の履帯のそれぞれ前後に折畳式の導板(ランプ)を取り付け、自らが溝や対戦車壕に飛び込んで仮設橋となる車両が造られ、チャーチルARKと命名された。本車は当初、山岳地形が多く戦車では乗り越えにくい小川や溝が多いイタリア戦線で現地改修され、のちにはチャーチルARKUKパターンと称される、イギリス本土で改造された型式も登場した。そのため、先にイタリアで改修された型式は、やがてチャーチルARKイタリアン・パターンと呼ばれるようになった。

 

 現場まで自走してきて、すぐに溝に飛び込んで他車を通過させることができるので実戦での評価は高かったが、使用後の溝からの回収や、多数の車両がその上を通過することで生じる各部の破損の修理が厄介だったため、後継の車種は造られなかった。

 

 

KEYWORDS:

過去記事

白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。