戦艦の主砲と同じ口径の巨大ロケット砲を積んだ破壊戦車【シュトルムティーガー】─戦車ビフォー・アフター!─
戦車ビフォー・アフター!~ニーズが生み出した異形の装甲戦闘車両たち~【第2回】
戦車が本格的に運用され「陸戦の王者」とも称されるようになった第二次世界大戦。しかし、戦車とてその能力には限界がある。そこでその戦車をベースとして、特定の任務に特化したAFV(装甲戦闘車両)が生み出された。それらは時に異形ともいうべき姿となり、期待通りの活躍をはたしたもの、期待倒れに終わったものなど、さまざまであった。

【After】
38cmという戦艦の主砲並みの超大口径ロケット砲弾は、射程距離こそ短かったが、すさまじい破壊力を備えていた。
第2次世界大戦勃発前の時点で、ドイツ陸軍はIII号戦車とIV号戦車という「主力戦車と支援戦車」のコンビのさらに上位に、より強力な突破重戦車を配することを考えていた。そして1937年初頭に1号突破重戦車(DW1)の開発に着手。さらにDW2の試作も進められ、これが「傑作重戦車」ティーガーIの原点となった。
そこから発展した試作車VK4501(H)は1942年4月から生産が開始され、当初はPzkw VI Ausf. H(VI号戦車H型)Sd.kfz.181と称されたが、1943年3月からPzkw VI Ausf. E(VI号戦車E型)Sd.kfz.181、またはティーガーIに改名され、これが制式名称となった。
ティーガーIの実戦部隊への配備は、1942年8月から始まった。本車の重装甲は当時のいかなる連合軍戦車の砲弾も弾き返し、本車が搭載した8.8cm砲は、逆にすべての連合軍戦車を確実に葬る強力な戦車砲だった。しかし同年のスターリングラードにおける激しい市街戦の戦訓から、敵が立て籠もった建物を一撃で粉砕可能な大口径砲を搭載した近接戦闘用の破壊戦車が求められた。
そこでティーガーIの砲塔を撤去。戦闘室上面の装甲をはがして、150mmもの前面装甲厚を備えたカーゼマット式戦闘室を結合し、38cm Raketenwerfer 61ロケット臼砲(きゅうほう)を搭載した車両が造られた。RW61の名称で呼ばれる同砲は、戦艦の主砲並みの38cmという超大口径の砲尾装填式ロケット弾発射臼砲で、全長約1.5mで125kgの高性能炸薬(さくやく)を充填した発射重量約350kgのロケット砲弾を、約5600m飛ばすことができた。
しかし38cmロケット砲弾は巨大だったため14発しか搭載できず、その装填も大仕事で発射速度はきわめて遅かった。同弾を車外から車内へと搭載するため、戦闘室の後部側面には専用の小型クレーンが設けられていた。
敵歩兵による肉薄攻撃も想定される市街戦において、敵が立て籠(こ)もる拠点を至近距離から吹き飛ばす目的で開発された本車にはシュトルムティーガーの愛称が付与され、修理のため戦場から後送されてきた既存のティーガーIを改造して18両が生産されたと伝えられる。
実戦への投入は1944年中旬からで、この時期になるとドイツ軍は敵が立て籠もった陣地への攻撃ではなく、攻め込んでくる敵を迎え撃つ戦闘が多くなった。そのため、迫ってくる敵を撃たねばならない機会が多くなり、発射速度の遅さは致命的で、活躍の機会はほとんどなかった。