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明智光秀は「本能寺の変」決行のために「比叡山焼き討ち」で4000人を虐殺した!?

日本史あやしい話11

 

■明智光秀は前世で比叡山を恨んでいた!?

 

 さて、ここからは、少々怪しげなるお話である。光秀がなぜ比叡山に対してここまで残虐になり得たのか? その要因となったかもしれない、とある物語へと話を進めていきたい。

 

 記されているのは、江戸時代の浮世草子『御伽人形』である。そこには、光秀が「前世において、比叡山を大いに恨んでいた」と記されているのだ。まずはその書から紐解いてみることにしよう。

 

 それによれば、その昔、延暦寺に明智坊なる修行僧がいたという。どのような経緯か定かではないが、何やら寺法に背いたということで、比叡山を追われたようである。これを恨んだ明智坊が、無念のうちに自害。

 

 その死の間際に、弟子たちを前に、「死した後、必ずや比叡山を滅ぼさん」と、悪態をついて息を引き取ったのだとか。その明智坊なる僧の生まれ変わりが、何と明智光秀、その人だったというのだから驚かされるのだ。

 

 もちろん、真実とは思い難いが、この書ばかりか、他の伝承としても類似の話が伝わっているから、全くもって無視するというわけにはいかない。

 

 巷に伝えられるところのお話としては、光秀の祖父である前述の頼典が、自身の父である頼尚と対立。挙句、親子の縁を切られた(義絶)ことから、止む無く出家したという。明智坊と名乗って比叡山西塔堂行堂で暮らしたと言い伝えられている。

 

 ここでは、光秀ではなく、その祖父を明智坊としているとの違いがあるものの、明智坊なる御仁がいたことは間違いなかった。前述の書ではその生まれ変わりを光秀としているところから、彼の手によって、積年の恨みを晴らしたとも考えられるのだ。

 

 歴史人WEBの記事「明智光秀=天海説は、本当に荒唐無稽な伝承なのか?」でも記したように、光秀はその後、天海と名を変えたと言われることもある。

 

 これが事実ならば、明智坊、光秀、天海の三人が、比叡山を通して一本の線で繋がることになる。もちろん、信じるに足る話かどうかは定かではないが、そう信じたくなるのである。

 

 奇妙な伝説が、もう一つある。「光秀が死して蛍になった」というお話である。もちろん、事実としてあり得る話ではないのは当然として、たとえ伝承だったとしても、納得できるものではない。これまで見てきた光秀像が実像に近いものとすれば、彼の情念は、そんな可憐なものではなかったはずだからだ。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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