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歌の力によって、神をも脅し動かした絶世の美女・小野小町とは?


絶世の美女としてその名が知られる小野小町(おののこまち)。歌人としての技量も格別で、神をも歌の力で動かすことができたという。しかし、晩年は縁者も死に絶え、奥羽の山奥で野垂れ死に。髑髏(どくろ)を晒しながら、霊魂が彷徨う始末だったという。なぜそのようになってしまったのだろうか?


『古今和歌集』に撰録された名歌人ながらも謎多き美魔女

小野小町と言われる姿『月百姿 卒都婆の月』 国立国会図書館蔵

「花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身よにふる ながめせましに」

 

 絶世の美女と称えられた平安時代の女流歌人・小野小町が詠んだ歌(『古今和歌集』『百人一首』)である。木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)や衣通姫(そとおりひめ)、額田王(ぬかたのおおきみ)など、美女と称えられた女性は数多存在するが、そのいずれをも押しのけて一位の座を揺るぎないものにしているのが小町である。もちろん、その姿を目にしたことはないから、あくまでも想像上でのお話であることはいうまでもない。

 

 そのとびっきりの美女が、散りゆく桜の花に自らの容貌の衰えを重ね合わせて儚む…というのだから、何とも艶っぽい。少々薹(とう)が立つとはいえ、まだまだ妖婉(ようえん)さが匂い立つような美魔女を思い浮かべてしまうのである。

 

 小町といえば、この歌を含めて17首もの和歌が『古今和歌集』に撰録されている。紀貫之でさえ、その序文において、彼女を六歌仙の一人に数え上げたほど。ただし、六歌仙と持ち上げておきながらも、「艶にして気力無し。病める婦の花粉をつけたるがごとし」と、直訳すれば(別の見方もできそうだが…)実に手厳しい評価を下しているのが気になる。手っ取り早くいえば、「色気ムンムンの姉ちゃんが、色香をネタに歌いまくっている」とでも言いたげな様相なのである。色香を振り巻きながらも男どもを袖にしている…との腹立たしさが胸につかえていたのかもしれない。

 

 ともあれ、彼女は宮中において、有名人であったことは間違いない。それにもかかわらず、生誕地はおろか、死没地さえ定かではない。その動向が、どの書物にも記されなかったからである。唯一、『玉造小町壮衰書』(たまつくりこまちそうすいしょ)なる平安時代後期の漢詩文に、小町と思しき人物の栄枯盛衰が記されているが、果たしてこれが小町の実像を伝えるものなのかどうかは疑わしい。それでも、この物語をもとに、後世、謡曲『通小町』『卒都婆小町』『雨乞小町』などの七小町が上演された他、歌舞伎の演目『和歌徳雨乞小町』などにも取り上げられ、絶世の美女としての名声を不動のものとしていくのである。

 

 さらに、伝承地なるものも、いつの間にやら全国各地に頻発。秋田県湯沢市や京都市山科区をはじめとして、各地に生誕伝承が伝わる他、宮城県登米(とめ)市の小町塚や京都市左京区の補陀落寺(ふだらくじ)の供養塔など、小町が没したとされるところも数えきれない。いったいどの伝承を信じて良いのか、悩まされてしまうのだ。

 

百夜通いを果たせずに死んだ男の悲哀

 

 そんな伝承をつなぎ合わせてみれば、およそ次のような生い立ちが想定されるかもしれない(主として古閑炯作氏著『小野小町』をもとに筆者の推測を交えている)。まず、最初に登場するのが、閻魔大王のもとで裁きの補佐をしていたとも伝えられる小野篁(おののたかむら)である。その子・良実が、小町の父であるとの説を信じたい。父・篁(隠岐に配流)に連座して、良実が肥後に流されたことがそもそもの始まりであった。肥後の七国(しちこく)神社の神主の子であった衣織姫(そとおりひめ)と契りを結んだものの、流罪が解かれて京に戻る良実。衣織姫のお腹に子が宿っていることなど知る由もなかった。841年頃のことと思われる。それから数年の後、良実が出羽守に任じられて任地へ。途中、近江に差し掛かったところで、子の誕生を知らせようと追いかけてきた衣織姫と再会。「あなたの子よ」と目の前に子を突きつけられたというから、良実もさぞや面食らったことだろう。その子というのが、可憐な少女・小町であった。

 

 ともあれ、この時、良実が本妻にどう説明したのか定かではないが、小町を養子として迎え入れ、ともに京の都で暮らすようになったという。

 

 時が過ぎるにつれて、ますます美しさに磨きがかかる小町。もちろん、男どもが放っておくわけがなかった。言い寄る男は引きも切らず。それでも、小町の心を動かすことはできなかった。その内の一人が深草少将(ふかくさのしょうしょう/伝説上の人物)である。「百日間、一日も欠かさず通ってくだされば、私の頑なな心も変わるやもしれませぬ」と言ったとか。戯言を放って軽くあしらったつもりだったのだろうが、少将の方が本気にしてしまった。満願の日まで残すところあと一日という99日目のこと。その夜は大雪であった。足の痛み(脚気であったとも)をこらえながらも、強行しようとする少将。ついには、小町の館にたどり着くことなく、雪に埋れて死んでしまったというのだ(この辺り、諸説紛々)。

 

出自も記載されている『百人一首図絵』田山敬儀筆 国文学研究資料館蔵

 神をも恫喝して降雨に成功

 

 本題はここからである。絶世の美女として名高い小野小町をなぜここで紹介するのか? それが問題である。それは、小町の後半生の言い伝えを振り返れば、納得できるはずだ。ともあれ、話を先に進めよう。

 

 小野家で教養を身につけた小町は、その後宮中に入内したという。光孝(こうこう)天皇に見初められて子まで授かった…と、まことしやかに語られることもある。

 

 驚くべきことは、その後、歌人としての信任も殊の外篤かったようで、本来は天皇が行うべき雨乞いの儀式を、何と小町が執り行ったというのだ。舞台は、大内裏(だいだいり)南に広がる神泉苑(吉野の丹生川上神社との説も)。そこで小町が、雨乞いの和歌を詠んだという。

 

「千早振る神も見まさば立騒ぎ 天の戸川の樋口あけ給え」

 

 まるで、「神様なら、偉そうに黙って見てないで、すぐに雨を降らせなさいよ!」と言わんばかり。天の神をも恫喝するかのように言い放ち、見事、その言の通り、神をも動かして、雨を降らせることに成功したのだ。

 

 さらに「ことわりや日の本ならば照りもせめ さりとては又あめが下とは」(日の本というだけに陽が照るのも当然。でも天(あめ)、つまり雨が下ともいうから、雨を降らせるべきでしょ!)と詠んだとの説もある(これを逆に止雨の歌とみる向きも)。ともあれ、ここにおいて小町は、神をも超越せんとする偉大な能力を発揮するに至ったのである。もしかしたら、自身の生誕の地であった七間神社で、巫女としての能力を身につけていたことが役に立ったのかもしれない。

 

 さらに、帝の子として男児を産んだことで、命を狙われることもあったとか。これを恐れた小町が、密かに奥羽へ逃れた。程なく天皇はもとより、縁者までもが次々と亡くなったことで、彼女を庇護する人は誰もいなくなったようである。

 

 それから数十年、ついに奥羽(京都との説も)の山の片隅で野垂れ死に。野辺に髑髏を晒すまでに成り果ててしまったのである。そこにやってきたのが、かつて求愛するも見事振られてしまった在原業平(名もなき僧が登場する伝承も)だったとか。小町の霊魂は、深草少々の亡霊に邪魔され、極楽浄土に行くことができず、髑髏の周りをうろついていたというのだ。髑髏が言い放つ「秋風のふきちるごとに あなめあなめ」(秋風が吹くたびに、目が痛い!目が痛い!)という苦悶の声に対して、「小野とはいわじ すすき生いけり」(小町の哀れな姿とはいうまい、ただススキがはえているだけなのだ)と詠み返した。それが彷徨う小町の霊の慰めになったとは思いがたいが、一応、成仏したことになっている。もちろん、真相は闇の中である。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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