「文化の盗用だ!」SNSでも“ディスり”あう「タイとカンボジア」国民感情のエスカレートが紛争を呼び起こす
歴史でひもとく国際情勢
■タイとカンボジアのネットバトル
タイの文化の重要なルーツにカンボジアがあるのは間違いなく、宗教、食、スポーツ、芸術などで両国はかなり類似した文化を持ちます。領土や民族も混合していったので、明確に「どちらのもの」と白黒つけられるわけはないのですが、両国とも「自分たちが起源で、相手は盗んでいる」と主張します。
特にFacebookやTikTokなどのSNSでのネットバトルは激しいものがあります。タイ人ネットユーザーの一部はクメールとクレームとカンボジアをもじって「クレームボジア」と呼び、逆にクメール人は「Lie to me(嘘をつく)」をもじって「Thai to me」と言うなどしています。
よくネットバトルで挙がるテーマを紹介します。
「ムエタイとクン・クメール」問題
立ち技格闘技は東南アジア一帯にさまざまな種類がありますが、両国はキックボクシング・スタイルの格闘技を伝統としています。
タイでは「ムエタイ」、カンボジアでは「クン・クメール(プラダル・セレイ )」と言います。このキックボクシングの本家がどちらの国かというものがホットなトピックとなっています。
タイ人はムエタイはインドの格闘技カラリパヤットをもとに独自に発展させたものであると考えています。16世紀、ビルマの占領から国を救ったナレースワン王が配下の兵士の訓練に用いたという説がよく知られており、愛国心とも深く結びついています。
一方でクメールのプラダル・セレイの歴史は古く、9世紀にまでさかのぼるとされます。クメール帝国は現在のタイ北部からベトナム南部までを支配したため、クメール時代の文化は当時の支配地域に残り、それがタイのムエタイになったとクメール人は考えています。
ただし明確な証拠がないので詳細はよく分かりません。
「タイ舞踊とクメール舞踊」問題
クメールの伝統舞踊の最古の記録は7世紀にまでさかのぼります。しかし15世紀以降にアユタヤ朝の軍事侵攻でクメールが衰えると、王宮舞踊は衰退しました。現在のラオスにあったランサーン王国の伝統舞踊のルーツは、クメール帝国から女性舞踏家を招へいしたことがきっかけとされています。そのため現在のカンボジア人はタイ伝統舞踊もクメール人の女性舞踏家を招へいするか拉致するかしてタイに伝わったに違いないと考えます。
一方でタイでは逆に考えられています。王宮舞踊が途絶えたクメールでは、18世紀末からシャム王国の宮廷にシャム伝統舞踊を学びに来るクメール人が多くいました。彼女らがクメールに持ち帰って伝統舞踊を「作り直した」とされます。よって、現在のカンボジアの伝統舞踊のルーツはタイにあるというわけです。
アンコールワットも火種になったことがあります。
2003年1月、カンボジア紙「レスメイ・アンコール」が、タイの女優スワナン・コンギンがテレビ出演時に「カンボジアがアンコールワットをタイに返還したときのみ、私は再びカンボジアで公演するだろう」と発言したと報じました。
これは誤報だと後に判明するのですが、激怒したクメール人群衆がプノンペンで抗議のためのデモを起こし、過激化した暴徒がタイ大使館やタイ資本のレストランやホテル、当時の首相タクシンが経営する企業のオフィスなどを破壊する騒ぎになりました。暴動を報じるニュースの中で、カンボジア人男性がラーマ9世プミポン王(当時)の肖像を焼き払うシーンが流れ、多くのタイ人が激怒しました。
他にもさまざまなトピックで両国のネットユーザーは罵倒しあっています。
今回の国境紛争のきっかけは未決着の領土問題にあるのですが、完全解決できず、揉め事がエスカレーションしていく背景には、今回お話ししたような互いの国に対する感情抜きには説明ができないでしょう。
前編/タイとカンボジア【対立の歴史】クメールを見下すきっかけになった「タイ愛国主義政策」とは?

アンコールワット 写真/AC