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直線翼の傑作艦上機を後退翼化し性能向上させて延命した【グラマンF9Fクーガー】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第24回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        前線航空統制官機としてベトナムのチューライ基地を離陸するクーガーの練習機型TF9J(F9F-8T)。

         極初期のジェット機の多くは、それまでの実績がある直線翼で造られた。しかしレシプロ機よりも高速となるジェット機には、後退翼のほうが適していることは早くから判明しており、特に第2次世界大戦の終結によってジェット機研究の先進国だったドイツの後退翼に関する研究成果などももたらされ、ジェット機の後退翼化は急速に進んだ。

         

         この影響もあって、アメリカの海軍や陸軍(のちに空軍)も、ジェット機の後退翼化を急ぎ推進した。その結果、新規に設計された後退翼を備えるジェット機が開発される一方で、既存の直線翼を備えたジェット機を後退翼化させる案も進められた。

         

         かような流れの中で、海軍は朝鮮戦争で活躍した直線翼を備える艦上ジェット戦闘機F9Fパンサーの後退翼化を、グラマン社に要請した。実は同社はすでに以前に一度、この案を海軍に提出しており、基礎研究が進んでいた。特に当時の後退翼は、直線翼に比べて短距離での離着陸性能に難があったが、「艦上機の名門」である同社は、フラップやスポイラーのような空力的工夫によって艦上ジェット戦闘機としての適正化に成功している。

         

         こうして誕生した後退翼を備えるF9Fは、直線翼型のパンサーと差別を図るため、新たにクーガーの愛称を付与された。なお、本機は主翼だけでなく、パンサーでは直線翼だった水平尾翼も後退翼となっている。その結果、ほぼ同じ出力のプラット・アンド・ホイットニーJ-48系ジェット・エンジンを搭載しているにもかかわらず、最大速度はパンサーよりもクーガーのほうが約80km/hほど速かった。

         

         直線翼型をベースとした改修であるにもかかわらず、クーガーは高速化に加えて運動性能も向上しており、「後退翼ジェット戦闘機」として十分に通用する機体に仕上がっていた。そのため、アメリカ海軍アクロバット飛行チーム「ブルーエンジェルス」でも、1955年から1957年にかけて使用された。

         

         クーガーの実戦部隊への配備は1952年から始まり、1956年7月には、本機を装備する海軍第46攻撃飛行中隊が、世界で初めてサイドワインダー空対空誘導ミサイルを実戦装備した部隊となった。本機は、同ミサイルを最大で4発搭載可能だった。

         

         しかし戦闘機型のクーガーが実戦に参加する機会はついぞ訪れなかった。その代わり、戦闘機型が実戦部隊を退いた後も運用が続けられた複座練習機型が、初期の前線航空統制官機としてベトナム戦争に実戦参加している。

         

         なお、アメリカ海軍の最後のクーガーの退役は1974年であった。

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        過去記事

        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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