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直線翼から後退翼への「変身」で果たした性能向上!【リパブリックF-84Fサンダーストリーク】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第23回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        スモークを曳いて編隊飛行中のリパブリックF-84Fサンダーストリーク。アメリカ空軍曲技飛行チーム“サンダーバーズ”の所属機である。

         直線翼のF-84サンダージェットは、リパブリック社らしい堅牢な構造の機体で、第2次世界大戦中に同社が生産したレシプロ戦闘機P-47サンダーボルトと同じく、優れた空戦能力に加えて、対地攻撃能力の高さで好評だった。

         

         しかし後退翼を備えたノースアメリカンF-86セイバーが登場すると、直線翼ジェット機は性能面で大きく見劣りするようになった。

         

         まだジェット機が実用化されてあまり時間が経っていないこの時期、直線翼で登場したジェット機を後退翼に変更して性能の向上を図る方法は、ゼロベースから新しい後退翼ジェット機を開発設計するよりも容易だった。しかも、原型の機体よりも高性能の機体を速く実用化できるだけでなく、それまでの直線翼装備型機体とメンテナンス方法やパーツにも共通性があり、さらには操縦技術も類似しているケースが多く、部隊への導入もスムーズに行えるという利点があった。

         

         実はリパブリック社は1946年2月28日のP-84サンダージェット(直線翼型)の初飛行成功後の翌1947年3月、同機の後退翼型を陸軍航空軍に提案したが承認されなかった。しかし同年9月、陸軍から航空軍が独立して空軍になったあとの1949年に再度提案したところ、YF-96として1機の試作開発が認められたが、性能不良で先に進むことはなかった。

         

         ところが1950年に朝鮮戦争が勃発し、より高性能の機体が大量に必要となったことから、F-84シリーズの後退翼型であるF-84Fの開発が認められた。ジェット・エンジンを直線翼型のアリソンJ35に代えて、より大出力のライトJ65を搭載し、1950年6月3日の初飛行において大幅な性能向上を示した。

         

         しかしイギリスのアームストロングシドレー・サファイアのライセンス生産型だったJ65は、初期不良に悩まされた。また、翼桁にプレス鍛造部品が用いられていたが、この工作が可能なプレス機が当時のアメリカには3基しかなく、F-84Fのための使用順位は下げられていた。

         

         こういった事情が重なって、直線翼型のサンダージェットとは別にサンダーストリークという愛称を付与されたF-84Fの運用開始は1954年5月にずれ込み、朝鮮戦争には間に合わなかった。しかも、本機以降により高性能の機体が続々と開発されたため、サンダーストリークはベトナム戦争にも参加しておらず、アメリカ空軍機としてはほとんど実戦を経験することなく1972年に退役している。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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