なぜ「カリフォルニア=リベラル地域」になったのか?② 〜LGBTQの「聖地」化とラスト・ベルトとの格差拡大〜
歴史でひもとく国際情勢
多様性・公平性・包摂性(DEI)に対して強硬な姿勢を取り、リベラル勢力に対する圧力を強めているトランプ政権。今回は、カリフォルニアがなぜ多様性を特徴とするようになったのか、歴史を読み解きつつ、保守とリベラルの「溝」について考えたい。
■射殺されたオープン・ゲイの市議会議員
リベラル地域としてのカリフォルニアを読み解くうえでとくに重要なムーブメントが、LGBTQの権利向上運動です。古くからカリフォルニアにはゲイ・カルチャーがありましたが、第二次世界大戦後はゲイバーの取り締まりが厳しくなりました。
1949年、州査定平準局(BOE)が人気ゲイバー「ブラックキャット」を摘発するも、これを不服としたブラックキャットが裁判所に訴えました。結果、州最高裁でブラックキャットは勝利を収めました。この判決を受けて「同性愛者にオープンなサンフランシスコ」の噂を聞きつけて全米から同性愛者が集まるようになっていきます。
しかし、市当局のゲイバーへの圧力は続き、1961年にはブラックキャットを含む12店のゲイバーが免許取り消し処分になってしまいます。
このような市当局の圧力に対し、ゲイバーのオーナーたちは相互扶助組織を作り弁護士代を工面したり、酒類製造会社と良い関係を構築して支援を得たり、同性愛に理解を示す政治家に政治献金をして関係を強化するなどして、政治的な発言力を増していきました。その結果、1977年にオープン・ゲイであるハーヴェイ・ミルクがサンフランシスコ市議会議員に当選しました。
ところが1978年11月、ミルクは「同性愛者を公職から追放する」法案を支持する男に射殺されてしまいます。容疑者はわずか7年の禁錮刑という異例の軽い判決が下り、これに怒った同性愛者たちが市役所の前で暴動を起こしました。
■市警のゲイバー襲撃を経て、LGBTQの聖地へ
暴動への報復として市警はカストロ通りのゲイバーを襲撃し、ゲイバーの客と外にいた同性愛者に暴行を加えました。この結果、60人の警官と100人の同性愛者が重軽傷を負いました。
サンフランシスコ市長のダイアン・ファインスタインはサンフランシスコにおける同性愛者の政治パワーを認め、これまで以上に公職に積極的に登用する方針を固めたのでした。このように、カリフォルニアではLGBTQのコミュニティは強固で政治的に強い発言力を持ち、行政と市民の両面から寛容な社会となっています。
こうしてカリフォルニアは「LGBTQの聖地」となり、米国のみならず世界中から同性愛者が集うようになっているのです。
■斬新性と多様性が、テック系企業や優秀な人材を惹きつけた
1992年の大統領選挙から、カリフォルニア州は民主党への票が多くなっていきます。2008年以降は民主党が常に少なくとも60%の票を獲得しています。2024年の米国大統領選挙でも、カリフォルニア州はカマラ・ハリス候補を選んでいます。
この変化には、州の人口動態や経済の影響が考えられます。コンピューターやインターネットの発展により、カリフォルニアはシリコンバレーをはじめとして、テック系企業が数多く集まるようになりました。
カリフォルニアにテック系企業が集まる理由は、進取の気質があり、カウンターカルチャーや社会運動など新たなものを生み出す場所であるからです。そして多様性を重んじるテック系企業は、世界中から優秀な人材を惹きつけます。
多様性を武器にして、カリフォルニア州は日本を上回るほどのGDP(国内総生産)を叩き出すほどの高い生産力を誇るのです。カリフォルニア州が保守に転がることは、自らの強みを捨て去ることになるため、ほとんどあり得ないでしょう。
ここまでで、カリフォルニアが圧倒的な民主党の牙城「ブルー・ウォール」である必然も、ざっくりおわかりになったかと思います。
しかしカリフォルニアが多様性を強みにして発展する一方で、その繁栄と無縁の米国中西部の工業地帯「ラスト・ベルト」に住む人々との格差はどんどん広がっていきます。
広がる格差やあまりにも異なる価値観をどう埋めていけばいいのでしょうか。現在のトランプ政権が急速にリベラルへの「復讐」をしているのを見ると、傷の回復には長い時間がかかりそうに思えます。
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サンフランシスコの虹色交差点