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凡作機をベースにして生み出された隠れた秀作【マクダネルF2Hバンシー】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第11回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        飛行中のマクドネルF2Hバンシー。主翼基部が分厚くなっており、そこにジェット・エンジンが搭載されているのがよくわかる。主翼付根前端にエア・インテークが口を開けており、同後端の白く見える部分が排気口である。

         1939年に設立されたばかりの新興航空機メーカーであるマクドネル社は、1943年8月にアメリカ海軍からジェット艦上戦闘機の開発を要請された。これに応えて設計されたのがFHファントムである。

         

         しかしファントムは、太平洋戦争の戦時下に設計開発されたため、航空機としての重大な欠点こそなかったものの、エンジン推力が低いことにを筆頭に、全体性能が低すぎた。

         

         そこでマクドネル社は、ファントムの初飛行が成功した直後に発展改良型を提案。これを受けた海軍は、同機の初飛行から約2か月後の1945年3月に、F2Hバンシーの開発をスタートさせた。

         

         ファントムの最大の問題だったエンジン推力の低さを解消すべく、ウェスティングハウスJ30は、倍の推力を発揮するウェスティングハウスJ34に換装された。それにともなって機体もやや大型化。ただし機体デザインはファントムに酷似した直線翼で、中期生産型からは翼端に着脱式の燃料タンクが備えられるようになった。

         

         武装も、ファントムの50口径機関銃4挺から20mm機関砲4門へと強化され、装備位置も同機と同じ機首の上側ではなく、やや下側とされた。というのも、前者では夜間射撃時に銃口に閃(ひらめ)くマズルフラッシュがパイロットの視力に悪影響をおよぼしていたからで、より大口径の20mm機関砲ともなれば、マズルフラッシュがさらに大きくなるため、それがパイロットの視界に入らない位置とされたのである。加えてエンジン推力の強化にともない、外部兵装も約1.5トンが搭載できるようになった。

         

         さらに、ファントムにはなかった射出式座席も備えられている。

         

         初飛行は1947年1月11日で、制式化後には単座の核爆弾搭載型、全天候(夜戦)戦闘型、偵察型など、いくつかの派生型も造られている。

         

         部隊への配備は1948年から始まり、朝鮮戦争で実戦に参加。だがMiG15との空戦は経験していない。対地攻撃が中心だったが、高空性能に優れていたので偵察型も活躍した。

         

         さらにカナダ海軍もバンシーを採用。運用期間の末期にはアメリカ、カナダの両海軍で、サイドワインダー赤外線誘導ミサイルが搭載可能とされた。

         

         なお、総生産機数は895機だった。

         

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        過去記事

        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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