【Mummy-D×KOHEI JAPAN】遊女の生き様と色街の歴史 大河ドラマ『べらぼう』で大注目の吉原遊郭跡潜入レポート
Mummy-D&KOHEI JAPANの遠い目症候群#09
ヒップホップグループ「RHYMESTER(ライムスター)」の兄・Mummy-Dと、「MELLOW YELLOW(メローイエロー)」の弟・KOHEI JAPAN。2人は共に音楽シーンで活躍する一方で、大の歴史好き。今回は大河ドラマ「べらぼう」でも大注目されている、東京都台東区・吉原遊郭跡と遊女・遊郭にゆかりのある地を訪れます。
■遠い目症候群プレゼンツ「裏大河紀行」
(by Mummy-D)
本年一発目の遠い目さんぽ、今回は2025年大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)で俄然注目の、台東区はかつての吉原(現在の千束3~4丁目)に行ってまいりました。吉原といえば数多の小説や映画、漫画などに取り上げられた、遊女たちの居並ぶ、煌びやかな遊郭があまりに有名ですが、実はいまだに現役の風俗街でもある、ちょっとセンシティブな場所。我々も大河ドラマに負けないくらい真摯な姿勢で、その光と陰をレポートします!

今日も張り切っていきましょう!
■遊女たちの投込寺として名を知られる「 浄閑寺」
(by Mummy-D)
まず最初に向かったのは日比谷線三ノ輪駅から至近、「投込寺」の異名を持つ、浄閑寺。『べらぼう』第一話のショッキングなシーン、亡くなった遊女が身包み剥がされ、投げ捨てるように葬られていたのがまさしくこの場所。う、ううむ…初っ端からなかなかヘビーな取材スポットやんけー(汗)。浄閑寺の過去帳によると、葬られた遊女たちの平均寿命は粗末な生活や性病などの影響もあって、平均22歳(!)だったという。
「生まれては 苦界、死しては 浄閑寺」
墓地に設けられた新吉原総霊塔にたくさん供えられていた、化粧品やアクセサリーがとても印象的でした。我々もさっきまでのケーハクなムードから一転、思わず慰霊塔に手を合わせずにはいられませんでした。

撮影:Mummy-D
■いざ、吉原遊郭跡へ! 土手通り~見返り柳~大門
(by Mummy-D)
さて浄閑寺を後にした我ら遠い目探偵団、ここから本格的に吉原遊廓跡を目指します。新吉原(江戸初期に人形町のあたりに設けられた「元吉原」に対して)は江戸幕府が唯一公認した遊郭。「郭(くるわ)」の文字が示す通り、高い塀と水堀(お歯黒どぶ)に囲まれ、出入り口は北側に設けられた大門のみ、そこに至る唯一のルートは日本堤と呼ばれる土手道でありました。現在では拡幅され往時の姿を偲ぶ由もないですが、所々に並ぶ老舗の商家の佇まいに、駕籠で吉原通い、左団扇のお大尽並に気分が高揚します。

『東都名所 新吉原日本堤衣紋坂曙』/メトロポリタン美術館蔵
そこで見つけた、浮世絵にも描かれた見返り柳! かつては山谷堀脇の土手にあったものが、道路や区画の整理に伴い現在の場所に移され、代替わりしながらもそこに立っています。遊郭で遊んだ男たちが名残惜しそうに、その場でつい振り返ったから、というのが名前の由来なんだそうな。きっと遠い目をしていたことでしょう。

(左)かつて名残惜しさから振り向いた男たちの気持ちを表現する2人。
(右)五十間道のカーブは現在もそのまま残っている。撮影:Mummy-D
そしてそこから郭内に向けてSの字を描く五十間道。なんでも日本堤から郭内が見えないようにSの字を描かせたんだとか。この辺りもやっぱり、城下町の町割りの感覚。逆にいうと、この狭いエリアに最盛期3000人はいたと言われる遊女たちは、まさしく籠の鳥と呼ばれる状況だったと言えましょう。

『東都 新吉原一覧』/東京都立中央図書館蔵
※一部編集
■吉原遊郭跡の観光拠点施設「江戸新吉原耕書堂」
(by KOHEI JAPAN)
大門から大通りを歩くこと数分、左手にある「江戸新吉原耕書堂」にピットイン。ここは蔦屋重三郎が大門手前、五十間道に開業した書店「耕書堂」にあやかった施設で、今年1月から1年間、期間限定で営業している。この「耕書堂」、蔦重の歴史を語る上で欠かせない場所。書店から始まり、後に版元となった蔦重は巧みなアイデアでヒット本を量産、「耕書堂」の名はどんどん広まっていくのだ。
「江戸新吉原耕書堂」では、吉原に特化した観光案内や、お土産品なども販売されていて、壁には所狭しと、蔦重が関わった浮世絵や新吉原の古地図などが貼られており、当時の吉原をイメージした映像なども観ることができる。また、蔦重が手掛けた吉原遊郭のガイドブック「吉原細見」のレプリカなども展示してある。吉原遊郭跡のほぼ中心に位置しているし、吉原散策、蔦重ゆかりの地巡りの拠点として、ピットインしておきたいスポットである。

「江戸新吉原耕書堂」には、吉原や遊女に関する歴史をわかりやすく学べる。観光拠点としてぜひ訪れてみてほしい。
ちなみに、本来あったであろう「耕書堂」の跡地を五十間道で探してみたのだが、場所が分からず。「江戸新吉原耕書堂」を案内してくれた、台東区大河ドラマ「べらぼう」活用推進協議会事務局の堀田聡さんにお話を伺ったところ、やはり正解に場所は判明しておらず、案内板とかも立てられないとの事。ううむ。そこで遠い目をメイクしたかったなぁ。