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現代日本が抱える社会問題を予測 都市化の闇と男女の生きづらさを描いた『遠雷』【昭和の映画史】

■都市化によって失われる一次産業と社会の行き詰まり

 

 『遠雷』(昭和56年/1981)は、ここ数年来の農業危機を目にして、筆者が度々思い出す映画である。

 

 昨年、日本を米不足が襲った。買い占め騒ぎが起きた上に価格も上がり、令和の米騒動と呼ばれた。農水省は「新米が出回れば一段落する」と述べていたが、その後も価格は下がらない。最近は「あと3年は続く」と言われるようになっている。

 

 今年に入ってからはキャベツや白菜も高騰して、ろくに鍋物も作れなかった。加えて、鳥インフルエンザの流行で全頭処分が続き、卵の価格高騰や不足も起きている。こうなると、テレビの情報番組などは家計が大変だと伝える。

 

 これら一連の出来事が示しているのは、日本における一次産業の衰退と崩壊である。実際、これは高度成長期から予測されていたことだった。農業高校の卒業生が、一人も農業に従事しない事態になっているというニュースを目にしたのは、いつ頃のことだったか。

 

 『遠雷』は、栃木県宇都宮市近郊でトマト栽培に従事する若者の日常と、結婚をめぐる物語である。都市化が進み、若者がトマトを栽培するビニールハウスに接するところまで、団地が建つようになった。

 

 父親が農業を放棄し、土地のほとんどを売ってしまったからだ。兄は東京に出て銀行員をやっている。主人公の満男だけが、残された土地で農業を続けているのである。

 

 トマト栽培には熱心に取り組む満男だが、他に何か面白いことがあるわけではない生活だ。それどころか、父親は愛人のところへ行ったっきり戻ってこないし、祖母は認知症が始まっている。

 

 気晴らしと言えば幼なじみの広次と、ほぼ風俗のキャバクラに行くことぐらいだ。ある時はたまたま入ったスナックの、自称独身のママとビニールハウスの中で関係を持つ。

 

 そうこうするうちにお見合いの話が来る。相手はガソリンスタンドで働く現代的な女性で、初デートの日にラブホテルへ行くような関係になる。やがて相手は妊娠し、結婚式を急ぐことになるのである。あらすじはこうだが、この映画は細部が見どころだ。 

 

 昭和56年は、プラザ合意で円高が設定される少し前である。翌年には根っから暗いという「ネクラ」、逆に根っから明るいという「ネアカ」という二分法が流行した。その翌年になるとビートたけし、明石家さんま、タモリらお笑い御三家が活躍し、若者文化に絶大な影響を与え始める。

 

 マスコミ発の派手な若者文化が広まっていく中で、昭和59(1984)には東京ディズニーランドが開園し、金持ちを「マルキン」、貧乏人を「マルビ」と臆面もなく分類する言葉が登場。バブル好景気を迎える下地ができていった。

 

 都市化と農業人口の減少は、止められない流れになっていた。満男のところにも、残った土地を売ってもらおうと業者が度々尋ねてくるのである。

 

 この映画の公開から44年が経過した。近くに農地がないと実感できないが、今や日本全土で耕作放棄地がどんどん拡大している。高齢化に加えて、異常気象や獣害、国による放置で農業はもうもたない。

 

 昨今の値上がりも、米作農家や野菜農家の利益にはなっていない。米作に至っては従事者の平均年齢が70代に近づき、平均年収10万円以下という惨状になっている。食料自給率は下がる一方だ。

 

 飼料のほとんどを輸入に依存する構造になっている上、米作からの転換が奨励されている。大規模農業法人化に希望があるように言われているが、成功例としてマスコミでも取り上げられていた法人が、コロナ禍で倒産。代表が4億円の借金を背負い、各地を転々としながら借金を返している様子がテレビで流れた。

 

 耕作地が狭い日本の農業は家族経営に向いている。里山の哲学者として知られる内山節も「古来、持続可能な農業は家族経営だけ」と言っている。しかし専業農家ではやっていけないので、多くは兼業農家だ。これも異常気象に対応できない原因の一つだ。

 

 映画の中で、トマトが虫の害にあって全滅して落ち込む満男に、母親はこう言う。「全滅しようが何だろうが、百姓は土地に根ざして食べものを作っていればいい」大地に根ざした生き方は強い。だが諦念も感じる。

 

 この映画は徹頭徹尾、男性の視点から描かれている。原作も脚本も監督も男性だし、映画界自体がそういう体質である。ましてや40年前だ。女優たちの脱ぎっぷりもすごい。

 

 根岸吉太郎監督自体がロマンポルノ出身なのだ。というより、監督になったのがそういう時代だったのである。テレビに押される映画界は、ロマンポルノで生き延びようとしていた。そこから何人もの才能が育った。

 

 この映画のもう一つの見どころは、女性たちの生き方である。時代から取り残された形で伝来の土地に生きる満男たちが、若い男性の閉塞感を象徴しているとしたら、女性たちもまた、トンネルから抜け出せないような日々を送っている。

 

 近年、少子高齢化との関連で消滅可能自治体が問題になり、その理由が若い女性の流出だと指摘されるようになった。その背景は、40年以上前の宇都宮近郊を描いたこの映画を見れば、一目瞭然である。

 

 満男の母親は姑に虐め抜かれた。その姑は認知症になって手がかかり、夫は土地を売ったお金を持って愛人と暮らしている。そして気まぐれに戻ってくると、母親は怒りもせず嬉しそうに酒を注ぐ。 

 

 都会に出れば、それなりに居場所が見つかりそうな自称独身のスナックママは、浮気を繰り返し破滅する。満男の見合い相手は、農業も姑も嫌だと言いながら結婚を決めるが「子どもができたら女はおしまいよ」と言う。

 

 それでも満男は結婚できた。しかし数年後にはそれも難しくなり、農業青年たちがブルドーザーに乗って原宿に現れ、「嫁寄越せデモ」を敢行する。あるいは中国の東北地方に、お見合いツァーに出かけることになる。

 

 東京近郊の農業地帯は今、次々と物流センターやデータセンターに変貌している。高齢化した農家は耕作を放棄し、喜んで土地を売っている。『遠雷』は40年以上前に今日を予測していた。それは作家と映画人が、今生きている時代を見据えていたからだ。

 

 公開当時、石田えりの豊満な肉体が大いに話題になった。満男役の永島敏行は、後に農業コンサルタントも兼業することになった。

イメージ/イラストAC

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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