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“お国のために”と女衒になった男を緒形拳が熱演 人身売買と大日本帝国のアジア進出を描いた『女衒 ZEGEN』【昭和の映画史】

■女性を売買する「女衒」をテーマにした異色の作品

 

 この映画は、実在したとされる女衒、村岡伊平治の半生を描いた作品で、80年代が生んだ異色作の一つである。

 

 監督は戦後日本を代表する映画監督の一人で、『豚と軍艦』『にっぽん昆虫記』『神々の深き欲望』『復讐するは我にあり』『黒い雨』などの名作を送り出し、『楢山節考』と『うなぎ』で、カンヌ映画祭パルムドールを二度受賞した今村昌平である。

 

 今村は女性の肉体が持つ存在感に思い入れがあり、女優がヌードになることが多く、そのため女性にはあまり人気がなかった。『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』『エロ事師たち 人類学入門』などは、評価は高かったものの、題名からして女性には敬遠されていた。

 

 この映画が製作されたのは、バブル真っ最中の昭和62(1987)。今思えば、昭和の終焉間際に作られたことに大きな意味があった。前作の『楢山節考』が大成功したこともあって、8億円をかけて香港、マカオ、台湾などで海外ロケを敢行したのである。

 

 しかし、この映画は題名を読むのさえ難しく、内容も人々の関心を引くことができず、興行的には大失敗に終わった。だが結果として、『女衒』は貴重な作品となった。なぜなら色々な意味で、こういう映画はもう作れないからだ。

 

 女性を売買する仕事である女衒は、もはやテーマ自体が取り上げにくいし、演じる女優もいないだろう。ましてや胸をはだけての演技など、できるはずがない。R15指定とはいえ、昭和の終わりにはこういうことができたのかと驚く。

 

 主人公の村岡伊平治は自伝を残しており、すでに昭和35(1960)、俳優座が『村岡伊平治伝』という舞台を上演して高く評価されていた。ただし、この自伝は検証のしようがなく、実在していたのか疑問の声もある。

 

 映画『女衒』は、村岡伊平治の自伝とされているものに今村が脚色を加え、造形した人物像である。それでも今からは想像もできない、人身売買を通じて描いた近代日本の裏面史になっている。

 

 日清戦争の前から太平洋戦争に至るまで、アジアに拡張していく日本の勢いが、東南アジアの娼館にまで押し寄せていく様子がわかる。一旗あげようとする商人や山師が日本を飛び出し、彼らの集まるところに娼婦が集められる。貧しい家の娘たちを、説得したり騙したりして連れてくるのだ。

 

 物語は、島原出身の伊平治ら三人が、船での過酷な労働から逃れるために海中に飛び込み、助けられて香港にたどり着くところから始まる。そして伊平治は、香港で貿易商になろうと意気込む。

 

 しかし、たまたま出会った上原陸軍大尉から、満州へ行って対ロシア諜報活動をするよう強要されるのである。大尉は伊平治に「何事もお国のため」という考えを叩き込み、切腹の仕方も教える。

 

 大尉に同行して行った満洲は寒かった。そこで伊平治は、親しくなった女性を使って情報収集に励む。だがその女性は、諜報活動をロシアに見破られて殺されてしまうのだ。大尉は「ここが引き際だ」と、褒美として伊平治に日本刀を渡して去る。

 

 香港に戻った伊平治は、旧知の知人がシンガポールで身請けしてきたという女性に出会う。その女性、しほは島原時代の幼なじみだった。伊平治はしほを身請けし、さらに日の丸を背負い日本刀を持って、監禁されて娼婦にされている日本女性を救い出す。

 

 しかし、彼女たちを養うにはお金がかかる。そこで娼館の経営を思いつくのである。しかもそれは、お国のためにもなると考えた。南洋開発の人柱になろうというのだ。

 

 伊平治は日本から女性たちを集め、シンガポールやマレーシアに渡って大々的に娼館を経営する。そんな平治の娼館には常に、天皇の御真影が飾られているのである。明治天皇が死去した時には、かつて上原大尉から教えられた通りに切腹しようとまでした。

 

 しかし、刀の先がちょっと当たっただけで、痛くて切腹は断念する。全体に、この作品はテンポよく話が進み、そこはかとないユーモアさえ漂っている。それが悲惨なエピソードも少なくない物語を、活劇的なものにしているのである。

 

 伊平治が娼館の経営に励んでいる間にも、軍国日本はアジアへの拡張を続ける。海軍の戦艦が寄港する度に娼館は賑わう。そうこうするうちに日露戦争が始まるが、日本海軍はバルチック艦隊の所在をなかなか掴めないでいた。

 

 あくまでお国のためにご奉公しているつもりの伊平治は、バルチック艦隊が通過するかどうか見張るため、娼婦たちを交代でその任に当たらせもする。そして日本領事館を訪れては、国立娼館の設置を提言するのだ。

 

 騙されて娼館が人手に渡ったあとは、お国のため、残った娼婦に次々に子どもを産ませる。日本人を増やすためだ。やがて太平洋戦争が始まり、ついに待望の日本軍がやってくる。

 

 老いた伊平治は歓喜に沸き、「おなごのことはお任せください」と行進する兵隊たちに呼びかける。しかし誰にも相手にされない。ここに至って、伊平治の人生は壮大な喜劇であったことが明らかになる。伊平治が東南アジアから見ていた大日本帝国の勇姿は、幻想だったのだ。

 

 この映画はカンヌ映画祭に出品されたが、理解されなかった。無理もない。人身売買を伴う日本のアジア進出自体が受け入れ難いものだった上、女性の上半身がほぼ裸なのである。おまけに、しつこいぐらい性行為が描かれる。

 

 これでは日本人でさえ食傷気味になる。今村監督の、女性の肉体へのこだわりが裏目に出た形になった。ただ、男も女も体一つでアジアに出ていく、そのたくましい姿は印象に残る。これも日本近代史の一側面なのだ。

 

 それに昭和の初めまで、日本の女性は人前で胸をはだけ、母乳を飲ませていた。裸体に対する感覚が今とは違っていたのである。それに今村監督の描き方は喜劇的で、陰湿さはない。とはいえ二度と作れないテーマだ。だから貴重な映画なのである。

 

 主演は緒方拳、しほ役は倍賞美津子である。緒方拳は、派手な立ち回りで男性に人気だった新国劇の出身で、得難い個性で伊平治役を熱演した。今村昌平のお気に入りでもあり、『復讐するは我にあり』『いいじゃないか』『楢山節考』などに主演している。71歳で亡くなったのは残念だった。

 

 倍賞美津子は美貌と肉体の双方でお色気全開、まさに適役だ。姉の倍賞千恵子ともども、理想的な歳の重ね方をしている。加齢も皺もそのまま見せて味わい深い。

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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