ヤマタノオロチに隠された「古代史の真実」 退治されたのは「実在の製鉄氏族」だった?
日本史あやしい話
ヤマタノオロチといえば、スサノオが退治したとして知られる怪物である。ワクワクするような物語が繰り広げられているが、しかしこのお話、単なる作り話ではない。ベースに「ある史実」があると考えられるのだ。どういうことか、見ていこう。
■なぜ、英雄・スサノオが「祭場で糞をする悪漢」として描かれたのか?
スサノオといえば、姉のアマテラスオオミカミを「天の岩屋」に引き込ませるほどの悪事を為したとして知られる御仁である。神田の畔(あぜ)を壊し、田に馬を放って荒しまわったというばかりか、新嘗祭のさなか、祭場で糞をしたり馬の皮を放り込んだりとやりたい放題。思いつく限りの暴挙を繰り返したと、『日本書紀』に記されたものであった。
しかし、不思議なことに、高天原を追い出され、出雲の国の斐伊川(ひいかわ)の辺りに降り立ってからのスサノオには、かつてのような荒々しさはなかった。ヤマタノオロチを倒し、一人の女性を守り抜くわけだから、むしろ、頼もしげな英雄と讃えられるべき人物だったと言うべきか。
それにしても、この変貌ぶりは奇妙である。悪漢がいきなり善人に変化したのはなぜか? 何やらそこに、得体の知れぬ思惑が作用していたのではと勘ぐりたくなってしまうのは筆者だけではないだろう。
うがった見方をすれば、高天原でのスサノオは『記紀』の編纂者が机上で作り上げた虚像で、葦原中国に降り立って以降のスサノオこそが、出雲に本来伝承されてきた実像であったのではないかと思えてしまうのだ。少なくとも、両者が同一の伝承にもとづいたものでなかったことだけは、間違いないだろう。
その謎解きは後述するとして、まずは、スサノオによるヤマタノオロチの退治物語を振り返ってみることにしたい。
■「ヤマタノオロチの退治物語」に隠された史実とは?
スサノオが斐伊川で出会ったのは、涙にくれる老夫婦であった。彼らに事情を聞くと、健気な少女・クシナダヒメがヤマタノオロチの餌食とされるとのことで、スサノオは俄然ハッスル! 彼女との結婚を条件に、これを退治せんと意気込むのであった。
少女を爪櫛に変えてみずらに差したまま大蛇を酒で酔わし、十握の剣を振り回して大蛇の首を刎ねて、見事退治。もちろん、翁との約束通り、須賀の地にクシナダヒメとの愛の巣を構えて幸せに暮らしたと続く。そして、子・大己貴神が生まれたところで、物語の幕を下ろす…とまあ、実にワクワクするような展開に、多くの人が惹きこまれたに違いない。
しかし、話としては面白いが、これを文字通りに受けとめるわけにはいかない。ヤマタノオロチなるバケモノが本当にいたとは、とても思い難いからである。むしろ、作り話であるとはいいながらも、何らかの史実を投影したものと考えられそうだ。ということで、今回は、スサノオのヤマタノオロチ退治にまつわる謎解きにチャレンジしてみたいと思うのだ。
■ヤマタノオロチ=「出雲と敵対する豪族」だった?
まず、参考にしたいのが、『古事記』である。そこに、八俣大蛇(ヤマタノオロチ)が高志(越)にいたと記されているからだ。これに注目したのが、『葬られた王朝』を著した梅原猛氏であった。
同書によれば、越の国(今の新潟県など)からやってきて出雲の人々を苦しめていた豪族のことをヤマタノオロチに喩えたのだとか。越といえば、古くからヒスイの産地としても知られるところで、当時の国々の中でも、ずば抜けて勢力あるところであった。その大豪族が出雲を支配して、人々を苦しめていた。それを、スサノオが追い払ったということだろうか。
また、ヤマタノオロチを、奥出雲に勢力を張っていた野だたら(露天型の製鉄)を業とする製鉄氏族とみなす向きもある。渡来系氏族であった(筆者の推測)スサノオが、奥出雲に進出。そこで戦いが繰り広げられて、スサノオが勝利。
敗者となった製鉄氏族から献上させたのが、鉄剣だったというわけである。大蛇退治物語の中で、スサノオが大蛇のお腹の中から取り出した、かの草薙剣(くさなぎのつるぎ)こと天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のことである。
■物部氏の始祖・スサノオを、藤原氏が貶めようとした?
ヤマタノオロチにまつわる謎について見解を述べたところで、後回しにしていた、「スサノオがなぜ悪漢に仕立て上げられたのか」という謎へのチャレンジを始めたい。
まず、思い起こしていただきたいのが、スサノオの後裔がニギハヤヒやウマシマジらで、それを祖と仰ぐのが物部氏であったことである。
物部氏にとってスサノオは始祖であるとともに、権威の象徴というべきものだった。しかも、ヤマタノオロチに仮託された製鉄氏族をも征して出雲に君臨したスサノオである。本来なら、スサノオを英雄と持ち上げてしかるべきなのであるが、実は、それを正史である『日本書紀』に記すわけにはいかなかった。
なぜなら、この書が記された8世紀初頭に勢威を張っていたのが藤原氏だったからである。藤原氏にとって、一時代前とはいえ、勢威を張っていた物部氏を持ち上げるわけにはいかなかったのだ。
蘇我氏に滅ぼされたとはいえ、その残存勢力はまだまだ健在。藤原氏にとっても、決して侮れる存在ではなかった。ならばその権威を陥れるにこしたことはない。こうした思惑によって、スサノオが極め付けの悪漢に仕立てられたというわけである。
あくまでもこれは一説にすぎないが、再検証してみる価値はありそうだ。少なくとも、『記紀』がスサノオのあるべき姿を描いていないことだけは、間違いのないことだろうと思えてならないのだ。

ヤマタノオロチが住処としていたと伝えられる天が淵/撮影・藤井勝彦