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じつは昔からあった「出稼ぎ売春」 九州では「女の出世」として尊ばれたが… 売春婦となるため旅立った「からゆきさん」の闇

炎上とスキャンダルの歴史


「からゆきさん」をご存じだろうか。「から」とは「唐」、つまり外国で、海外へ出稼ぎに行く人、とくに現地で売春を行う女性を指す言葉である。江戸時代には、貧困世帯の多かった天草(現在の熊本県)・島原(長崎県)から万単位の女性が海外へと旅立った。明治期の中国東北部・大連などには多数の日本人娼婦が溢れ、ハルピンの日本料理屋では「裏メニュー」として売春が提供されたという。彼女たちはその後、どうなったのだろうか?


 

■「1週間100万円」の高収入に釣られ…

 

 最近、日本人女性が海外で売春し、深刻なトラブルに巻き込まれるケースが急増しているそうです。「毎日新聞」の記事(202445日)によると、摘発されたブローカー業者が「200300人(の女性)を米国やオーストラリア、カナダなどに斡旋し、2億円近くを売り上げた」とのこと。

 

 ブローカーの手口は、「アメリカ出稼ぎ短期一週間100万円以上!!」などと仕事内容については触れずにSNSに投稿し、女性側も仕事内容については理解したつもりで応募するようですが、海外での「仕事」の内容は想像を絶する酷さであることが多いようです。

 

 マカオで売春することになった、とある女性は「客の前では常に危険を感じた」といいますが(前掲記事)、国内で性産業に従事する時のように、所属する店舗からのサポートを海外ではまったく受けることができないというのもあるでしょう。

 

 今年(2024年)4月には超党派の議員たちが「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(困難女性支援法)」を施行させましたが、いまだに危険を承知で海外にわたる女性は少なくないのが現状です。

 

 さて、じつは貧困層の日本人女性が、日本国内でのレートよりも高い賃金が期待できる海外にわたって売春を行った「負の歴史」の始まりは、はるか過去までさかのぼります。

 

■長崎のブローカーを経て、海外へ旅立った「からゆきさん」

 

1890年ごろのシンガポールの日本人女性(ライデン大学図書館)

「からゆきさん」という言葉を聞いたことはありますか?

 

 ウィキペディアでは「九州地方で使われていた言葉」として「からゆきさん」を定義していますが、江戸時代の九州ではすでに「からゆき」という言葉が存在していたようです。「から」とは「唐」。つまり「外国」という意味です。

 

 江戸時代には日本人の海外渡航は幕府の法によって厳禁されたにもかかわらず、「万単位」もの女性が、貧困世帯の多かった天草(現在の熊本県)・島原(長崎県)などの九州地方から、長崎のブローカーを経て海外に流出しました。もう二度と日本には帰れないことを覚悟の旅路であったと思われます。

 

 明治時代になり、日本人の海外渡航が違法ではなくなると、今度は男女とわずに外国に出稼ぎにいく人が「からゆきさん」と呼ばれました。しかし、その中に少なからぬ割合の性産業の女性が含まれていたことはいうまでもありません。「からゆきさん」は西日本に多く、もともと九州地区の方言だった「からゆきさん」が全国区になっていったのです。

 

■稼いだ金を神社や寺に寄進し、地域の有名人になる「女の出世」

 

 ウィキペディアでは、「からゆきさん」を「主に東アジア・東南アジアに渡って働いた日本人労働者」だと定義していますが、実際の仕事先は、北はシベリアから中国大陸、南は東南アジアからインド、アフリカまで、きわめて広範囲でした。

 

 九州同様に貧困地帯として知られた東北の女性たちの出稼ぎ先は主に東京でしたが、九州地方、とりわけ天草・島原の女性たちは海外を目指しました。彼女たちには、「からゆき」だけでなく「からくだり」という言葉が用意されています。

 

「からゆき」した外国から当時(明治後期)のお金で「100万円」――現在の価値に換算すれば1億円以上の現金・宝石とともに「からくだり」した女性が実家を建て替え、故郷の神社や寺にまで寄進して立派に蘇らせ、地域の有名人になることを「女の出世」として尊ぶ気風まであったとされます。

 

 明治時代、日本軍の海外拠点だった中国東北部の大連などの大都会には、かなりの数の日本人娼婦が溢れていました。たとえば明治44年(1911年)12月末の記録で、大連(中国・遼東半島最南端)で娼婦・その類として鑑札を受けた(公的に届け出をした)女性は、872人。出身者のトップ3は長崎出身が109人、広島出身が92人、大阪出身が85人でした(『廓清』、2巻4号)。

 

■海外の日本料理屋では「裏メニュー」に売春があった

 

 女性たちが海外に出稼ぎ売春するきっかけは様々ですが、20世紀になった直後の満州・シベリア地方においては、毎週のように売春婦となるため日本から乗り込んでくる女性の姿が見られ、「日本娘子軍(にほんじょうしぐん)」などと呼ばれました。

 

 明治末のハルピンでは、とある日本料理屋の裏メニューが売春で、ロシア人客相手にロシアの農民風のドレス姿に足元は草履ばきの日本女性が売春を行ったそうです。相場は13円。1時間5円、泊まりで25円。平均的な月収は800円でしたが、当時1円は現在の1万円以上に相当するので月収800万以上です。

 

 しかし、高収入を得ていたはずの「からゆきさん」たちのほとんどについて、その後どうなったかを示す史料は残されておらず、闇の深さを感じずにはいられません。

 

 

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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