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【光る君へ】なぜ、「定子の子」を押しのけて「彰子の子」が選ばれたのか? 

日本史あやしい話


吉高由里子がまひろ/紫式部役で主演を務めるNHK大河ドラマ『光る君へ』。20日に放送された第40回では一条天皇(塩野瑛久)が崩御。強引に孫である敦成親王を東にした道長(柄本佑)に対し、中宮・彰子(見上愛)が「どこまで私を軽んじておいでなのですか!」と激怒するシーンが描かれた。さて、史実でも立太子されたのは敦成親王であるが、なぜ、定子が産んだ敦康親王を押しのけることができたのだろうか? じつはそこには、平安のプレイボーイ・在原業平が絡んでいる。どういうことか、見ていこう。


 

■なぜ、定子の子どもは立太子できなかったのか?

 

在原業平肖像(ColBase)編集部にてトリミング 

 藤原彰子(道長の長女)が生んだ敦成親王が、道長の姪にあたる定子が産んだ敦康親王を押しのけて立太子できたのは、なぜなのだろうか? その理由のひとつは、「血筋」にあったとも言われる。そして実は、そこには誰もが知るプレイボーイ・在原業平が絡んでいるのだ。

 

 在原業平といえば、いうまでもなく天下に比類なき色男として誰もが知る御仁である。生没年は825〜880年というから、紫式部が生きた時代より1世紀以上も前の人であった。

 

「体貌閑麗」(姿も顔もおおらかで美しい)といわれたほどのイケメンというのに加えて、性格も「放縦不」(物事に捉われず奔放なこと)だったというから、モテる条件をすべて揃えていた。『伊勢物語』の注釈書によれば、嘘か誠か、3742人もの女性と関係したというから、空いた口が塞がらない。

 

 さて、そんな彼と関係をもった女性に、伊勢神宮に仕える恬子内親王(文徳天皇の娘)がいた。彼女と業平が密通してできた子が、高階師尚であるという噂があったのだ。

 

 恬子内親王は、いわば神に仕える身。業平はそれと知りながらも、自らの寝所に誘い込んで密通したというから、恐ろしいまでの熱の入れようであった。子が生まれてしまったが、斎宮頭の高階氏が養子に迎え入れたことで、かろうじて難を逃れたという。は密通によりできた子どもである……という噂があったのだ。

 

 そして定子の母は、高階氏の出自だった。「在原業平が密通して産ませた高階の血をひく子を天皇にしてしまうと、伊勢の神様の怒りを買ってしまう」というわけで、定子の子・敦康は敗れてしまったのだ。

  

 

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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