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朝ドラ『虎に翼』森口美佐江の東大合格はどれくらいすごかったのか? 女子の大学進学率3%未満を乗り越えた秀才 

朝ドラ『虎に翼』外伝no.57


NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』では第19週「悪女の賢者ぶり?」が放送中。寅子(演:伊藤沙莉)は不可解な言動を繰り返す女生徒・森口美佐江(演:片岡凜)から思わず娘の優未(演:竹澤咲子)を守るような態度をとってしまい、埋められない溝に思い悩む。その様子を心配して家を訪ねてきた星 航一(演:岡田将生)との仲が深まるなか、美佐江が東大合格を果たしたというニュースが飛び込んだ。終戦から約8年、教育制度も変わるなか女子の大学進学はどれくらい稀有なことだったのだろうか。


 

■戦後になってようやく女子が東大受験を許されるようになる

 

 物語は現在昭和28年(1953)春まで描かれている。まずは戦後の教育制度がどう変わったかを簡単におさらいしよう。

 

 戦後、日本はGHQの指導の下で急速な教育改革に迫られていた。昭和20年(1945)9月には文部省(現在の文部科学省)が「新日本建設の教育方針」を示している。最も注目を集めたのは、学校制度の改革である。端的にまとめると「6・3・3・4制」になり、小学校6年間+中学校3年間の計9年間を義務教育とした。

 

 また、教育における男女格差に関していえば、昭和22年(1947)に公布された教育基本法の第5条において「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない」と定められた。これによって、とくに国立・公立の学校では男女共学が原則になっていく。

 

 東大をはじめとする旧帝国大学は、昭和22年(1947)に帝国大学令が国立総合大学令に改称されるに伴って「国立総合大学」と名を変えた。その時点で、東大は「東京帝国大学」から「東京大学」に改称されている。さらに昭和24年(1949)の国立学校設置法施行によって、旧制国立総合大学7校は新制国立大学に包括されることになり、新制東京大学が発足するに至るのである。

 

 東大の門が女子に対して開かれたのは、昭和20年(194512月に閣議了解された「女子教育刷新要綱」によるものだった。そこでは「差当リ女子ノ入学ヲ阻止スル規定ヲ改廃シ女子大学ノ創設並ニ大学ニ於ケル共学制ヲ実施ス」と明記されている。

 

 昭和21年(1946)春に東大を受験した女子は109人で、そのうち19人が合格した。この年の入学者は合計で898人。女子は全体の約2%しかいなかったことになる。その後、19人のうち法学部の1名は家庭の事情で中退したものの、残り18名は無事卒業した。

 

 さて、作中では東大に女子が初めて入学してから8年後に、美佐江が合格したことになる。では、その頃の女子の大学進学率はどれくらいだったのだろう。

 

 文部科学省が公開している「文部科学統計要覧」のデータには残念ながら同年の進学率は残っていないが、昭和30年(1955)のデータをみると「大学(学部)への進学率」は男子が13.1%、女子が2.4%となっている。ちなみに「大学(学部)・短期大学(本科)への進学率」になると、男子が15%、女子が5%になる。

※その年の3月に高等学校もしくは中等教育学校後期課程本科を卒業する学生数に対する割合

 

 まだまだ大学進学自体が珍しかった時代だ。戦後10年に満たない段階で、恵まれた環境で不自由なく勉学に励める人間にだけ開かれた大学入学への道、なかでも日本の最高学府たる東大に女子が入学するというのがいかに大きなニュースかよくわかる。並大抵の努力では叶わないことゆえに、美佐江自身も勉強熱心で真面目な性格ではあるのだろう。しかし、その裏側に潜む深い闇はまだその全容が不明瞭で、彼女の門出を純粋に祝えないのがなかなか複雑なところである。

 

<参考>

■文部科学統計要覧
■『文部省往復(三)昭和二十一年』

新たな学制下で多くの大学が誕生したが、やはり旧帝国大学なかでも東京大学の人気は群を抜いていた。
『大東京写真帖』より/国立国会図書館蔵

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