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じつは直木賞のほうが重要!? 「おまけ」のようなかたちで設置された芥川賞【芥川賞・直木賞の炎上史】 

炎上とスキャンダルの歴史


いよいよ本日2024年7月17日(水)に結果発表となる第171回芥川龍之介賞・直木三十五賞。芥川賞ではクリープハイプ尾崎世界観氏や医師でもある朝比奈秋氏、直木賞では“タワマン文学”がSNSで盛り上がった麻布競馬場氏などの作品がノミネートされたことで話題となった。
第一回芥川賞では、太宰治がノミネートされるも受賞を逃し、川端康成に「刺す。」と殺害予告を送ったエピソードも有名だが、じつは制定者の菊池寛にとっては直木賞のほうが重要であったとも考えられる。どういうことか、見ていこう。


■芥川賞は「ついで」だった?

 

 現代では、かつてのような輝きと存在感を失ったとされる「文壇」。昭和の末あたりまでは、作家業界における人間関係の縮図でもありました。とくに菊池寛が創設した「芥川賞」「直木賞」という2つの賞が、誰に与えられるかをめぐって、新人作家とベテラン作家の主義主張が激しくぶつかりあっていたことで有名です。

 

 両賞の制定者でもある菊池寛は、その理由として「芥川(龍之介)直木(三十五)を失った本誌(=文藝春秋誌)の賑やかしに亡友の名前を使おうと云うのである」と語っていますが、菊池が弔事を読んだ芥川の死は昭和2年(1927年)724日のこと。第一回の芥川賞は昭和10年(1935年)のことで、彼の死から8年も後の話なんですね。

 

 当時から両賞は優秀な新人作家に与えられる賞でしたが、芥川賞は芸術性が高い内容だと考えられる作風、つまり「純文学」の作家に、そして直木賞はエンタメ性が高い「大衆文学」の作家に与えられました。また、両賞の受賞者が同時に発表されるという原則は今日まで貫かれてきました。

 

 その「純文学」「大衆文学」という「ジャンルわけ」の提唱者も菊池寛で、その菊池が主催する文藝春秋社のドル箱作家で、「大衆文学」の大物であった直木三十五が亡くなったのは昭和9年(1934年)224日だったことは見逃せません。

 

 菊池にとっては晩年、実は人気を失いつつあった芥川龍之介よりも、人気絶頂で亡くなった大スター・直木三十五を失ってしまった痛手のほうが深刻で、明日のスター作家を発掘するべく創設されたのが直木賞であり、芥川賞はその「おまけ」だったのではないか……などと勘ぐりたくもなるのですね。

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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