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「遺体の心臓を刺すサービス」があった!? 欧米で社会現象となった「生き埋め恐怖症」とは


18―19世紀の欧米では、「死んでいると勘違いされて埋葬されてしまう」ことを恐れる「生き埋め恐怖症」が社会現象となっており、幕末の医学にも影響を与えたフーフェラントなどは「死体に電気ショックを与え、本当に死んでいるか確認する技術」の研究までしていた。アンデルセンやゴーゴリにも見られていたこの恐怖症について、当時の人々はどう対処していたのだろうか?


■欧米社会で社会現象となっていた「生き埋め恐怖症」

 

墓地

 

 文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの主治医でもあった、クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント――と聞いても、日本人の間でフーフェラントの知名度はそうそう高くはないでしょう。しかし彼の著書は、『医学全書』として幕末の蘭学医・緒方洪庵らの手で翻訳・刊行されており、日本の近代医学の進歩に多いに貢献しているのです。

 

 そのフーフェラントが医学の博士号を取るため、指導教官から与えられた研究テーマが、「死んだ(と思われる)人の身体に電気ショックを与え、その反応によって本当に絶命しているのか、あるいは仮死状態かを判別する技術」の確立だったと聞けば、驚くでしょうか。

 

 デンマークのアンデルセンやロシアのゴーゴリなど、文豪の中にも、「本当はまだ絶命していないのに土葬されてしまう」という事故に恐怖した人々がいました。しかし、文豪特有の繊細さが、そういう「生き埋め恐怖症」の原因だったというわけではありません。

 

 欧米社会の中でもとくにドイツやオーストリアでは、仮死状態のまま土葬されることを極端に恐れる「生き埋め恐怖症」の人々が目立ったそうです。「死んだ後が恐ろしくて、安らかに死ねない」というのは何の皮肉かという話ですが、一種の社会現象だったともいえるでしょう。

 

■心臓を刀で突いて死亡を確定させるサービス

 

 若き日のフーフェラントの研究も、「生き埋め恐怖症」の人々を安心させるために有益な技術だった……はずです。しかし、後年のフーフェラントは電気ショック法ではなく、(希望者には)死斑が浮き出るまで遺体を安置し、それをもって死亡確認するという穏便(?)な手段しか行わなくなりました。遺体に通電してビクンビクンさせるのはいかにも悪趣味だったからでしょうか。そしてフーフェラントの提案で、彼が暮らしたドイツのヴァイマール公国には死体安置所が設立されています。

 

 これでも当時の欧米の医療技術――とりわけドイツ医学は世界一でしたが、心電図の装置などはまだ存在しておらず、医者でも瞳孔の反応を見るとか、心音を聞くくらいのことしかできませんでした。今日にくらべるとかなりアバウトだというしかありません。

 

 それゆえ、20世紀始めくらいまで、当地の医者たちは、往診カバンの中に20センチほどの小刀を入れており、患者が死んだと思われた瞬間、刀で心臓を刺し貫き、死亡を確定してくれるサービスまで(希望者には)行っていたそうです。

 

 仮にあなたが「生き埋め恐怖症」だったとして、死後の電気ショック、腐りはじめるまで放置、心臓を一突きの三択だったのなら、どれが一番マシだと思われますか?

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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