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好きになった人に会いたいがために犯罪に手を染めた16歳の少女・八百屋のお七

江戸の美女列伝【第6回】


好きなのに、会えない人がいる。その面影を胸に秘めて生きるか、あきらめて、新しい恋をするかが一般的だろう。しかし、そのために飛んでもない手段を選んだ女性がいた。


お七を取り上げた演劇では、振袖姿のお七が追手を振り切って火の見櫓に上り、火事を知らせるための太鼓や半鐘を打ち鳴らす場面が一番の見せ場となっている。
安政大地震絵より(火の見櫓の八百屋お七)/国立国会図書館蔵

 通学・通勤電車の中でよく見かけるあの人。行きつけのお店で会う人。わずかな時間だけの邂逅(かいこう)を求めて、毎日同じ電車に乗ったり、毎週のように行きつけの店に顔を出していたりしたという経験をお持ちの方は少なくないのではないだろうか。しかし、もう一度会いたいがために放火という犯罪に手を染めるのは、論外である。

 

 冬の間は毎日のように発生するほど江戸は火事が多かった。火事によって住むところを奪われた人々は、近くの寺などに避難したという。天和2年(16831228日の昼頃、駒込の大円寺から火が出て、夜明け頃まで燃え続けた。このため、焼け出された人々は、近くの寺に逃げ込んだ。この中に、八百屋市左衛門の娘お七がいた。

 

 寺の人々は、被災者たちに親切に接したことだろう。寺小姓であった生田庄之助(いくたしょうのすけ)も真摯に対応したようだ。寺小姓を務めるくらいだから庄之助は、かなりの美形だったのだろう。当時の僧は、一部の宗派を除いて女性と関係を持つことを禁止されていた。そのかわりに身の回りの世話をする寺小姓たちが男色の相手を務めることが一般的であった。そのため、寺小姓は美少年と相場が決まっていたという。

 

 お七は美しい庄之助に恋をし、やがて2人は深い仲となった。しかし、2人が恋を語らいっている間にお七の家が再建され、寺を出て行かなくてはならなくなってしまう。寺にいる時には庄之助に会うことができたが、家に帰ったがために会うことができなくなったのである。会えないとなると思いは募るもので、お七の中で会いたいという気持ちがどんどん膨らんでいく。

 

 ついには、再び火事で焼け出されれば、寺に避難して、そこで庄之助に再会できると思い詰めるようなった。そして、ついに、それを実行に移してしまう。短絡的なと思うかもしれないが、お七はまだ、16歳の少女で、初めての恋だ。思い込みが激しくても仕方がないのかもしれないが、放火は犯罪だ。彼女のせいで多くの人々が命や家族、家などといった大切なものを失ったのである。

 

 放火は、火炙(ひあぶ)りと定められていたが、16歳以下は、子供ということで、刑を免れることもあった。彼女を裁いた町奉行は、16歳になったばかりの彼女を不憫に思い、取り調べで、16歳にはなっていないことにしようとしたが、お七自身が頑として譲らず、鈴ヶ森で火炙りの刑に処されたという。

 

 こうした彼女の人生が、井原西鶴(いはらさいかく)の『好色五人女』などに取り上げられるようになると評判となった。やがて、人形浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎といった演劇の世界でも取り上げられるようになり、お七が登場する作品が数多く上演されるようになった。そのせいだろうか、お七という女性がいたことは事実のようのだが、彼女の相手は生田庄之助が正しいのか、それとも吉三郎なのか、舞台となった寺も駒込の正仙院なのか、吉祥寺なのか、それとも正泉寺なのか諸説生まれることになってしまったのだ。

 

 好きになった人を一目見たいがために、火をつけてしまう。他人に多大なる迷惑をかける行為は決して許されることではない。しかし、人々の中には、自分を抑えきれなくなるような激しい恋に身を焦がしてみたいという願望があるのだろう。そうでなければ、お七の恋物語が今に伝わることはなかったかもしれない。

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過去記事

加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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