バラマキ政策で貧困層の支持を得るも、バランサーを失い「軍部の介入」を招く タイの民主主義の行方はどうなるのか?
歴史でひもとく国際情勢
前編/「カネ」と「コネ」社会の弊害か? 想像を絶する汚職、2年連続で首相が失職…「世界一不平等な国」と評されたタイ王国の続き
■ばら撒き政治で人気になったタクシン
タクシンは1983年にコンピューターの賃貸業で成功し、1998年に政界入りした人物です。2001年に首相に就くと、「国家は企業であり、首相はCEOである」として、自らに権力を集めたトップダウン式の国政を行いました。
タクシンは、タイが「カネとコネ」で動く社会であると見抜いていました。
そこで選挙対策のために貧しい地方にカネをばら撒いて、低所得者から絶大な支持を獲得しました。現在でもタクシンとタクシン派政党は地方の貧困層の支持が厚いです。
カネをばら撒く一方で、タクシンは各種の政策を実施することで、自らや自らの親族、自派の人物が経営する会社が大儲けする仕組みをあちこちに設けました。例えば、全国の小学生にタブレット端末を配り最先端の教育を受けさせる政策を実施したのですが、その購入先はタクシンに近い人物が経営する会社でした。
こうして、「カネ」と「コネ」の力でタクシンは絶大な権力を得たわけですが、「汚職(コーラップチャン)」を嫌う都市部のホワイトカラー層と、利権のおこぼれから外された軍人は、タクシンとタクシン派への反発を強めました。
2006年9月、タクシンが外遊中に軍部がクーデターをおこします。タクシンはそのまま亡命し、軍部による暫定政権が樹立しました。その後タイではタクシン派と反タクシン派による政治闘争が始まります。2011年には、タクシンの妹であるインラックが首相に就きますが、2014年に再び軍部によるクーデターが起きてしまいました。
■「政治バランサー」プミポン国王の死去
現在のタイの政治的不安定さの原因の一つは、2016年のプミポン国王(ラーマ9世)の死去にあります。
70年間に渡って国王の座に就いていたプミポン国王はとても優秀な人でした。様々な王室プロジェクトを実施して国民の生活水準の向上に努め、仏教を厚く保護し、国民から大変敬愛されていました。今でもタイ人の家に行くと、プミポン国王の写真が飾ってあることが多いです。
プミポン国王は政治の分野でもバランサーとして機能し、軍人と文民の政治闘争を「大岡裁き」してみせました。そうして、王の権威のもと、文民を基本に置きつつ、軍がこれに協力し、問題が起きたら国王が裁くという「タイ式民主主義」の体制を作り上げました。
「タイ式民主主義」は、軍人でも文民でも、国王に認められない限りは政治を運営できません。軍人は大きな政治的影響をもちつつも、文民に協力をしたり、文民的な振る舞いをしたりすることを国王に求められたので、タイは近隣諸国に比べると比較的安定した民主主義体制を維持しました。
しかしこれは、「国王が優秀で、適切な政治的判断ができる」という前提があって初めて機能する体制でした。
プミポン国王は2007年に体調を崩し、適切な政治介入ができる状態ではなくなってしまいました。その前後に軍は文民政権であるタクシン政権を崩壊させ、軍が優位な政治体制を構築してしまいました。また2016年に新国王に就いたワチラロンコン国王(ラーマ10世)は、プミポン国王ほどの器量がなく、民主化を進めようという意志もあまり見られません。表立っては言えませんが、現国王の言動を嫌っているタイ国民は一定数いると思われます。
そのような人々の感情もあってか、2023年の総選挙では、「軍改革」と「王室不敬罪の軽減」を訴える前進党(現・国民党)が勝利し第一党となりました。
王室と軍が優位な体制をひっくり返されることを恐れた親軍政党は、自らの息のかかった憲法裁判所に前進党の解党を命じるとともに、復権を狙うタクシン派政党・タイ貢献党と結託し、セター政権をたてました。
セター政権は約1年で軍の息のかかった憲法裁判所によって倒され、次にタイ貢献党所属でタクシンの娘であるペートンタンが首相となりますが、カンボジアとの国境紛争絡みのスキャンダルで倒れました。
タイ貢献党と軍との結託は早くも決裂しました。2025年9月に就任したのは、タイ名誉党のアヌティンです。アヌティンは国民党と閣外協力することで政権を樹立しますが、政治的不安定さは全く変わらないというのが現状です。アヌティン政権が親軍政党が嫌っている国民党の協力を得ていることもあり、三たび憲法裁判所の介入を受ける可能性もあります。
このように、現代のタイの政治的不安定さの直接の原因は、もともと潜在的にあった「カネとコネ」を利用して絶大な権力を握ったタクシンにあります。彼の台頭を抑えようとした軍がクーデターを起こし、その後はタクシン派と反タクシン派の政治闘争が起きました。タイミング悪く、それまで政治バランサーとして機能していたプミポン国王が体調不良により裁定ができなくなり、さらにプミポン国王の死後、軍と王室の権力を弱めようとする勢力が台頭し、それを抑えるために軍が主導して弾圧を加えていく。
構造的ながんじがらめの中で、民主主義的なプロセスは機能不全に陥り、軍が「政治の安定を取り戻す」という名目で介入し、ますます民意から離れていく悪循環に陥っています。残念ながら今のところ、よくなる兆しが全く見えません。
まずは人々が伝統的な「カネとコネ」に頼る生き方を手放す努力をしてほしいと思うのですが、そんなにすんなりもいかなそうです。

プミポン国王/AC