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日本初のプロ野球チームは、球団設立1年目に試合がなかった! その理由は学力向上と社会常識を身につけるため

あなたの知らない野球の歴史【第5回】


■社会に通用する人間をプロ野球選手に

 

 日本で最初のプロ野球チームと言えば、巨人と理解している人もいるだろうが実はそうではない。日本運動協会(芝浦協会)という名称で1920年、東京芝浦で誕生したチーム、これが初のプロチームである。大学野球が盛況になり、またアメリカからのメジャー・リーガーたちの来日が増え日本球界に大きな刺激を与えたからである。米チームは、来日すると試合も行う一方、早慶などの選手たちに技術指導した。きっかけはハーバート・ハンターというメジャー選手だった。彼こそ初期の日米野球興行の仕掛け人の一人で、彼は日本人の野球熱に目をつけて徐々に日米野球交流の興行師となる。

 

 大学野球部の幹部は、メジャー選手を「商売人」と冷ややかな目で見ていた。アマチュア野球が全盛時代、プロ選手に対して感触をつかめない球界関係者は、スポーツで金を稼ぐということに消極的だった。このため日本では野球のプロ化にかなり時間が要することになった。アメリカではプロ野球が当たり前で、日本球界と発展の経緯はかなり違っている。

 

 このチームの中心は早大野球部OBの河野安通志(こうのあつし)、同僚の押川清(おしかわきよし)、橋戸信(はしどしん/まこと)などで社長は橋戸、あとの2人は専務になった。彼らは1905年、早大野球部が初めて渡米遠征したチームの中心選手である。彼らの想いは15年後に成果をみた。翌1921年芝浦に球場を建設、選手は新聞を通じて募集、なんと200人以上が応募する盛況だった。彼らは大学の選手を含む現場の選手が多数入ると思っていたようだが、予想は大きく外れた。大学出身の選手など皆無だった。

 

 ところで、本格的なプロ球団ということで、学生野球の模範になるという河野の方針もあり採用面接を実施、合格した選手は14歳から27歳までの14人、1年間は試合を行わず、英語や数学、簿記など教育指導をおこなった。彼らは選手でありつつ学力や社会常識を学ぶという方針だったからだ。プロ選手が広く認知されていない日本では、社会に通用する人材をプロ選手にするという高尚な考えがあったようだ。

 

 主将は、島根商業(現在の松江商業高校)出身の山本栄一郎、後に巨人の選手となる。選手たちは、将来日本野球のリーダーになるという気概に満ちていた。翌年6月からが朝鮮や満州での遠征試合からチームの活動が始まった。国内に戻ると、幹部の伝手で軽井沢の早大グランドで早大野球部と合同練習後、早大野球部と練習試合を実施、なんと1対0という僅差で敗れ、一躍彼らの存在感は高まった。2番目に誕生した天勝野球団(てんかつやきゅうだん)とは11敗、翌年には早大にも初勝利して実力は疑う余地もなかった。

 

 セミプロで有名な大毎球団(19201929)がある。大阪毎日新聞(大毎)が親会社のチームだった。選手も慶大OBの小野三千麿(おのみちまろ)、森秀雄、明大OBの渡辺大陸(わたなべたいりく)など大学球界の蒼々たる選手が大毎球団に入団した。彼らは引退後の生活も多くの選択肢があり日本運動協会と対照的な人材ばかりだった。当時のプロ選手はまだまだ評価は低かったのである。

 

 チームは順調に成長していたが同年91日、関東大震災が発生、これが運命を変えることになった。芝浦球場は無事だったが、そこは救援物資の置き場(その後倉庫)になり、他の球場で試合をおこなっていたが、長くは続かず19241月解散になった。

 

 これを聞きつけたのが阪急電鉄の社長だった小林一三(こばやしいちぞう)だった。鉄道を中心に企業規模を拡大、美術関係や宝塚歌劇団の創設まで幅広い活動を行っていた。日本運動協会は宝塚協会と衣替えしてチームは、ようやく慶大や明大などの野球部と対戦するようになったが、昭和恐慌が発生、プロ野球団も後が続かず、さらに運営資金が大きくなり球団運営が厳しくなり1929年に解散することになった。まさにそのころ大阪毎日新聞や読売新聞がメジャー選手を招いて日米野球を開催する状況が到来、新たなプロ野球組織が生まれようとしていた。

 

 それが後の本格的なプロチーム、大日本東京野球倶楽部(巨人)になる。

少年野球場に立つ芝浦球場跡地の碑。約2万人の観客を収容できたという

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過去記事

波多野 勝はたのまさる

1953年、岐阜県生まれ。歴史学者。1982年慶応義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。元常磐大学教授。著書に『浜口雄幸』(中公新書)、『昭和天皇 欧米外遊の実像 象徴天皇の外交を再検証する』(芙蓉書房出版)、『明仁皇太子―エリザベス女王戴冠式列席記』(草思社)、『昭和天皇とラストエンペラー―溥儀と満州国の真実』(草思社)、『日米野球の架け橋 鈴木惣太郎の人生と正力松太郎』(芙蓉書房出版)、『日米野球史―メジャーを追いかけた70年』(PHP)など多数。

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