江戸文化のアイコンだった「花魁」の光と闇
蔦重をめぐる人物とキーワード⑫
■過酷な遊郭から解放される2つの手段
遊郭から解放されるには「身請け」と「年季明け」、2つの手段がある。身請けとは、裕福な客が多額の身請け金を、遊郭を通じて支払い、遊女の身柄を引き取る制度である。高額の費用が必要となる「身請け」は、限られた花魁にしか見られない特殊なケースだった。
記録に残る身請けされた例としては、1700(元禄13)年に松葉屋を出た遊女・薄雲(350両)、1775(安永4)年には同じく松葉屋を出た遊女・瀬川(1400両)などが代表的だ。身請けに必要な金銭は、庶民の年収の何倍にもおよぶ法外なものであり、身請けで吉原の大門を出るのは滅多にあることではなかった。
一方、年季明けとは、一定期間の奉公を終えること。一般的に「年季は最長10年、27歳まで」と定められていたといわれているが、実際の期間は個々の事情で異なることもあったようだ。
年季明けを迎えた遊女にも、厳しい現実が待っていた。
期間中に借金を返済できる例はほとんどなく、体を売る以外に生きる術を知らない遊女は、年季明け後も遊郭に留まり、吉原で再度仕事に就く者も多かったようだ。生涯、遊郭から出られない遊女も少なくなかった。
また、年季明けまで無事に務めあげる例も決して多いわけではなく、病気や過労、無理な堕胎によって若くして命を落とす者も多く、なかには客と心中に至るケースもあった。
高級遊女である花魁は、豪華な着物を身にまとった姿が浮世絵に描かれた。また、その華やかな暮らしぶりは芝居の題材にもなり、多くの庶民にとって憧れの的となった。
しかし、その一方で、彼女たちが「苦界」と呼ばれる、命すら落としかねない過酷な境遇に生きていたことも忘れてはならない。花魁の抱える華やかさと悲哀の両面が、江戸の社会構造や文化を象徴していたともいえる。