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おぞましい「嫁いびり」が地名になった「嫁威(よめおどし)」 いったい何があったのか?

日本史あやしい話


姑の嫁イジメとは、巷にあまた聞こえてきそうなお話である。日頃から気に入らぬ嫁を邪険に扱い、小言を繰り返すか無理難題を押しつけるというケースも少なくないだろう。ところが、世の中にはとんでもない方法を用いて、嫁に言うことを聞かせようとした姑がいた。なんと、鬼のお面を被って嫁を脅すという破天荒な行動に出たのだ。いったい、どのような経緯でそうなったのだろうか?


 

■おぞましい地名「嫁威(よめおどし)」とは?

 

 嫁威(よめおどし)とは、何ともおぞましい名前である。しかもこれ、実在の地名だというから驚く他ない。そう名付けられたのは福井県あわら市で、そこに嫁威なる地名が実在する。なぜそんな風に呼ばれるようになったのか、探ってみることにしよう。

 

 まずは、手始めにグーグルマップで「嫁威」と検索。と、早々に嫁威谷なる地名が現れた。ストリートビューに切り替えてみると、神社らしき森の一画に「嫁おどし谷」と書かれた案内板が見えた。

 

 その案内板を読んで、「なるほど、そうだったのか!」と、地名の由来にうなずいた次第である。そこに、いったいどんな物語が記されていたのか、これからじっくりと振り返ってみることにしたい。

 

■北陸の村で、姑と妻のふたり暮らし

 

 時は、浄土真宗中興の祖・蓮如(れんにょ)上人が、北陸に吉崎御坊(よしざきごぼう)を設けて活動拠点としていた頃のことである。その吉崎御坊にほど近い十楽村(じゅうらくむら)なる村に、百姓・与三次の妻・おきよが、姑(しゅうとめ)と二人っきりで暮らしていたところから物語が始まる。

 

 夫にも子にも先立たれて、世の無常に感じ入ったおきよ。仏に帰依して、毎夜のように上人のいる吉崎へとお参りする日々であった。

 

 ところが、これを家業の妨げになるとして気に入らぬのが姑。邪魔立てするのに、とんでもない方法を思いついた。

 

 それが、鬼の面を被って道すがらに躍り出て、無理やり姑のいう事を聞くよう脅すというものであった。そうして躍り出たところが嫁威谷(もちろん、後世にそう呼ばれるようになったに違いないが)だったというわけである。

 

■嫁は脅しに屈さず、姑は反省して泣きじゃくった

 

 さて、脅された嫁はその時どうしたか? 実は、この女性、実に信心深く、ひたすら念仏を唱えて、この脅しに屈することがなかった。

 

 そればかりか、「食まば食め 喰わば喰え 金剛の 他力の信は よもや食むまじ」(食いたければ食え!それでも、私が仏さまから教えられた真の心まで食い漁ることはできまい)とまで言いのけたというから、何とも気丈夫である。その真心に心打たれたものか、姑の方が後悔することしきり。

 

 おまけに、家に帰ってお面を取ろうとしても取れない。帰ってきた嫁の顔を見て、とうとう泣き伏してしまったのだ。「勘弁してくれ、悪気はなかったんじゃ」と。

 

 そんな風に泣きじゃくるうちに、あら不思議や、お面がポロッ! 非を悔いて懺悔したことで、罪を滅っせられたということだろうか。

 

■嫁も「姑の気持ちを考えていなかった」と反省

 

 ともあれ、ここでは姑が一方的に悪いことになっているが、実はもう一つの伝承があることも記しておきたい。実はこの時、懺悔したのは姑ばかりではなかった。嫁も同時に懺悔したという。いったいどういうことなのだろうか?

 

 この嫁、姑に懺悔されてはじめて気が付いた。気持ちを晴らさんと仏さまにすがって一人満足していたけれど、この時まで姑の気持ちまで汲んであげていなかったことに思いが至ったのだ。自分ばかりか、姑も我が子と孫を喪って悲しんでいたはずであった。

 

それに思いを寄せることもなく、自分だけが幸せになろうと仏さまにすがっていたのだ。「身勝手だったのは自分の方だった」と姑に頭を下げたという。一方だけが悪いのではなく、共に相手を思いやり、共に分かち合うことの大切さを教えてくれるようなお話であった。

 

■「姑が鎌で襲いかかり、嫁を殺す」パターンも?

 

 ちなみに、このお話に登場する姑が被ったという鬼の面は、驚くことに実在する。しかも、一つではない。

 

 一つは、浄土真宗大谷派(東本願寺)慶願寺の「嫁威肉附面(よめおどしにくつきのめん)」で、もう一つは、本願寺派(西本願寺)吉崎寺の「嫁おどし肉付面」。どちらも甲乙つけ難い醜怪なお面である。

 

 強いて言えば、前者のおぞましさが格別で、後者は心なしか虚ろで物悲しさを湛えている。後者の吉崎寺に伝わるお話では、夫がまだ存命中のお話とするなど、設定が若干異なっているようだ。

 

 なお、この話を元に、歌舞伎(『雪国嫁威谷』)などに取り上げられていくうちに、ストーリーも変質している。特に狂言に取り上げられた際には、物語が激変。ここでは、「般若の面を被った姑が、嫁を鎌で殺してしまう」とのおぞましい話へと変わっている。

 

 お面が顔に張り付いて取れなくなった姑が自害。これを蓮如上人が弔ったなどなど、さまざまな形態のお話が流布されるようになっていったのである。

 

 何はともあれ、前述のように嫁姑が和解しあって仲良くなったとのお話は喜ばしいが、誰もがそうなれるものかどうか。思いやりだけで本当になんとかなるのかどうか、正直なところ、心もとないと思えてしまうのだ。

 

福井県 あわら市 吉崎御坊

 

 

 

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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