イギリス人男性と不倫の噂も? 「夫婦は対等」と取り決めた「日本初の契約結婚」の“意外な末路” 離婚の真相とは
炎上とスキャンダルの歴史
明治時代、既婚男性は当然のように妾(めかけ)を持ち、妻の存在は軽視されていた。これに対して男女同権を唱えたのが初代文部大臣・森有礼である。彼は日本初の「契約結婚」を行い、妻と対等な契約を結んだ。しかし、その11年後、二人はひっそりと離婚することになる。「妻側がイギリス人男性と不倫した」という噂もあるが、本当の理由はどこにあったのだろうか?
■欧米の「レディーファースト」文化を輸入した初代文部大臣

森有礼(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
初代文部大臣として知られる森有礼(もりありのり)。薩摩藩出身の森は、優秀さを評価され、藩命を受けて幕末期の日本からイギリス留学し、ロンドン大で学んでいます。「男尊女卑」の気風がきわめて強かった幕末の薩摩、そして武家階級に生まれた森にとって、欧米文化における「レディーファースト」の文化に接したことは大きな衝撃だったはずですね。
明治時代の日本では、法律的に女性、妻の立ち位置は低く、妻とは夫の「家」を継承させるため、子どもを産む存在くらいにしか考えられていませんでした。夫の女遊びは大目に見られ、「妾」を家の内外に持つことさえ公然と認められていたのです。
明治13年(1880年)まで、「妻」と「妾」が、法律的な同等の権利を有すると定めた民法までありました。これに対して「男女同権」を唱えたのが森有礼です。明治6年(1873年)、啓蒙主義的な『明六雑誌』に5回にわたる論文を発表した森は、男性が平然と娼婦を買い、妾を持つ風潮を嘆きました。
『妻妾論』では妻を「奴隷」扱いする日本の夫を「夫婦の交(まじわり)は人倫の大本なり(=夫婦関係は道徳の根本なのに!)」と糾弾しています。「男女平等」を唱えた明治期の思想家としては福沢諭吉が有名ですが、福沢以前に「男女平等」だけでなく恋愛論・結婚論まで披露して見せた点で、非常にまれな存在だったといえるでしょう。
そして、そんな森が選択したのは日本初の「契約結婚」でした。
■日本初の「契約結婚」 3か条の契約内容とは?
『妻妾論』から2年後の明治8年(1875年)2月6日、森と彼が妻に選んだ旧幕臣(旗本)の娘・広瀬常(ひろせつね)の「契約結婚式」は、新築されたばかりの森家の洋館・大広間において、福沢諭吉を証人に執り行われました。常は、日本で最初にウェディングドレスを着た花嫁だったといわれる女性です。新郎の森はスーツ姿でした。
二人が対等の権利で結んだ結婚の契約は、わずか3か条。興味深いのは、このとき招待客を前に読み上げられた「契約書」が「静岡県士族広瀬阿常(おつね)」が「鹿児島県士族森有礼」と親のゆるしを得て結婚するという前文ではじまったことです。女性が、男性と結婚するという点で、レディーファーストなのですね。
ちなみにその内容を要約すると、「二人がお互いを妻/夫として認めること」「お互いがお互いを心から敬い、愛し合うこと」「お互いの共有財産は、相手に無断で売却できない」というものでした。どちらかが約束を違反した場合、結婚を解除することができるのです。
前クールの朝ドラ『虎に翼』で、夫が妻の所有物も好きに扱えるという民法が戦前日本ではまかり通っていたというシーンがあったと覚えておられる読者もいるでしょうが、この点だけでも森の「契約結婚」が、いかに先進的であったかに驚かれるはずです。
しかし……それから約11年後、森と常はひっそりと離婚しました。「常に問題行為があった」と発表されている以上、今日にいたるまで詳しい事情が説明されておらず、不可思議だというしかありません。
■「イギリス人男性と不倫」の噂も? 保守化した森とのすれ違いか
森がイギリスで公使(外交官)を務めた時代に、常がイギリス人男性と不倫をして、その結果「青い目の娘を産んだから」という噂が流されました。真偽は不明ですが、長女・安は誕生直後に里子に出され、その後も転々と里親を替えて消息不明になってしまったことは事実のようです。長女の誕生前後に何らかの深刻な問題が夫婦間に起きていたことは確実といえるのではないでしょうか。
ただ、それ以上に夫婦の価値観が変わってしまったことも大きかったのではないかと思われます。若い頃は男女同権論者だった森ですが、明治18年(1885年)には初代文部大臣に就任し、妻が夫に仕えるという「良妻賢母教育」の礎を築いたことで知られます。
そして文部大臣就任から1年後(明治19年・1886年)の常との離婚……ここに保守化した夫と、リベラルなままの妻という対立構図が思い浮かんでしまう筆者ですが、推測はこのくらいにしましょう。
その後の常の動向は一切不明。森は明治28年(1889年)、明治憲法発布の日に、伊勢神宮参拝時、彼のマナー違反をおもしろおかしく書き連ねた新聞のデマ記事のせいで暗殺されています。