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第1次大戦で登場した世界的名銃を鹵獲使用!世界に熱狂的なコレクターが存在する【ルガー】

日本軍の小火器~大日本帝国の軍事力の根幹となった「兵士たちの相棒」~【第11回】


かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。


        ルガー拳銃。軍用としてもっとも標準的な10cm銃身モデル。

         

         19世紀末は、オートマチック・ピストルの黎明期であった。その時代の先駆的銃器設計者のひとりに、ドイツ人のヒューゴ・ボーチャードがいる。彼は1860年にアメリカへ渡ってコルト社など数社で働き、ドイツに戻りハンガリーで働いたあと、再渡米してレミントン社に勤務。再び帰国すると、自身が設計したボーチャード・ピストルと同銃用の7.65mmボーチャード弾を開発し、その設計をルートヴィヒ・レーヴェ&カンパニー(ルガーを開発するDWM社の前身)に売却。同社は1893年に同銃を売り出した。

         

         世界初の実用量産オートマチックとされる(異説もあり)ボーチャード・ピストルには、彼がウィンチェスター社時代に接したレバーアクション・ライフルに使われていたトグル・ロッキングを、オートマチック用に大改修して生み出したトグル・ジョイントが備えられていた。しかし、サイズが大きくショルダー・ストックなしでは射撃精度が不安定なボーチャード・ピストルは、市場において同時期に発売されたモーゼルC96に大負けした。

         

         この事態を受けて、DWM社(1896年に社名変更)の銃器設計技師ゲオルグ・ルガーは、ボーチャード・ピストルの機構を利用してより洗練された設計の拳銃を開発。これが1899年に完成したボーチャード/ルガー1899で、持ちやすく撃ちやすいオートマチックとなった。

         

         20世紀初頭、このルガーは最新のピストルであり、スイス軍が採用しアメリカ軍も試験を実施した。

         

         かような流れのなかで、オランダも1904年にルガーを軍用として採用。ところが予算の都合で納品が遅れたうえ、第1次大戦が始まって輸出が止まった。そして戦後、敗戦国ドイツは9mm以下の拳銃しか造れなくなってしまったため、DWM社が密かに生産した同銃の部品をイギリスのヴィッカース社が組み立て、完成品がオランダ領インドネシア駐留軍(蘭印軍)に支給された。

         

         やがて太平洋戦争が始まると、緒戦でオランダ領インドネシアは日本軍に占領されたが、このときに、ルガーと使用弾薬の9mmパラベラム弾を鹵獲。そこで日本側は、在インドネシア部隊の一部に、鹵獲(ろかく)兵器としてルガーを支給した。その際、薬室の上に菊の紋章が刻印されたともいわれる。

         

         ただし再支給されたルガーのすべてに刻まれたわけではなく、一部の個銃に限られたようだ。また一説では、戦争遺産の中古銃器の価格を吊り上げるため、インドネシアで使用済みのルガーが放出された際に、後付けで刻印されたという風聞(ふうぶん)もある。

         

         ルガーは全世界に熱狂的なコレクターが存在する拳銃だが、来歴の真偽のほどは不明ながら、この菊の紋章が刻まれたルガーは「菊ルガー」と称され、珍重されている。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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