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26年式拳銃から発展した幻の性能向上型リヴォルヴァー【桑原製軽便拳銃】

日本軍の小火器~大日本帝国の軍事力の根幹となった「兵士たちの相棒」~【第9回】


かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。


        桑原製軽便拳銃。とにかく現存する挺数が少ない。ベースとされた26年式拳銃に比べて、より欧米的なデザインに仕上がっているのが見てとれる。

         日本陸軍は、初の国産近代軍用拳銃として、1896年にリヴォルヴァーの26年式拳銃を制式化した。同拳銃は、シリンダーの装弾数6発全弾を一挙に排莢・装填することができるトップブレイク(中折れ式)構造を備えていたが、作動方式がダブルアクションのみであった。

         

         このダブルアクションというのは、トリガーを引くとハンマーが連動して作動し、弾薬を撃発するメカニズムだが、トリガーを引くのに少し力が必要なせいで、発射直前に銃のブレを起こす可能性が高かった。これに対して、ハンマーを指で起こしてからトリガーを引くシングルアクションは、ごく軽い力でトリガーが引けるので、発射直前の銃のブレがダブルアクションよりも少なく、より精密な射撃に向くという利点がある。

         

         26年式拳銃でシングルアクション機能が省略されたのは、陸軍における本銃の使用環境と、生産性向上とコストダウンも鑑みた生産工程省略といった事情による。ところが本銃を実際に使用してみると、シングルアクション機能があれば、より使い勝手が良いということが明白となった。

         

         だが26年式拳銃は、拳銃を必要とする下士官や兵への官給品である。そして、彼らは拳銃だけでなく小銃も支給されており、日本陸軍では、小銃の使用が優先されていた。そのため、本銃に対するシングルアクション機能の追加も含めたさまざまな「現場の要望」は、生産工程の大幅な変更も必要とされる内容だったため、結局のところ手を入れられることはなかった。

         

         しかし、この26年式拳銃を開発時の参考として、拳銃を私物扱いで購入する士官向けに改良されたリヴォルヴァーが登場した。それが桑原製軽便拳銃である。本銃は、東京の桑原銃砲店が開発・生産したものだ。

         

         26年式拳銃と同じトップブレイクでシリンダーの装弾数6発も同じだが、ダブルアクションとシングルアクションの両機能を備えている。また使用する弾薬は、7.65mmリムドカートリッジで、9mm26年式拳銃実包よりも小さく、威力も低い。

         

         しかし桑原製軽便拳銃の登場は、ちょうど日清戦争に間に合った。そのため、士官各人の個人的な購入だけでなく、近衛師団の士官たちが、ある程度のまとまった数量を一括で購入したとも伝えられる。

         

         そして実際の使用にかんしては、弱威力がとやかく言われることはなく、比較対象の26年式拳銃に比べてダブルアクションとシングルアクションの両機能を備えていることを中心に、汚れに強くメンテナンスも容易な点などから、概ね好評だったという。

         

         ただ、生産数が不明で現存数も少ないため、世界の銃器コレクターの間では「幻の拳銃」のひとつとして扱われているようだ。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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