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世界的に見ても信じられない欠点を持つ日本の制式拳銃【94式拳銃】

日本軍の小火器~大日本帝国の軍事力の根幹となった「兵士たちの相棒」~【第5回】


かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。


        94式拳銃。トリガーの上のマイナスねじの上部から、右に伸びて手動安全装置のレバーの左上部までの細長い部品がシアー・バー。この構造上の致命的な欠陥により、本銃を手にしたアメリカ軍銃器技術関係者たちは「スーイサイド・スペシャル(自殺拳銃)」のあだ名を付けた。

         日本軍では、個人火器はあくまで小銃に基本を置いていた。そのため拳銃は、任務のうえでどうしても拳銃を必要とする下士官や兵に対し、官給品として支給された。これに対して、士官が護身用に所持する拳銃は、各人が自費で調達することになっていた。

         

         しかし1930年代に入ると、士官にもその任務によっては官給品の拳銃を支給する必要性が大きくなった。そこで陸軍を退役した南部麒次郎(なんぶきじろう)が大倉財閥に資本提供を受けて創設した南部銃製造所が、制式弾薬の8mm南部弾を使用する新型拳銃の開発に着手。

         

         こうして完成したオートマチックは、1934年に94式拳銃として仮制式化された。しかし本銃は士官向けを原則として採用されたので、従来の下士官兵向けの14年式拳銃も並行生産され、軍での使用が続けられた。とはいえ公に採用された拳銃なので、14年式拳銃と同じく下士官兵にも支給されている。

         

         当初、支給の基準は14年式拳銃よりも小型の拳銃が必要な航空機搭乗員や戦車兵らが優先された。しかし戦局の進捗にともなって、憲兵、重機関銃手、空挺兵、車両運転兵など、職務上で拳銃を必要とする職種の下士官兵にも、14年式拳銃と同様に支給されるようになった。

         

         第二次世界大戦中に量産された拳銃では、ソ連のトカレフ拳銃は世界的に「とんでもない拳銃」として知られている。なんと同銃には各種の安全装置がひとつもなく、ただハンマーをハーフコックにすることだけが、安全装置の代わりの役割をはたすが、それでも薬室に弾薬を装填して携行するには危険すぎた。

         

         しかし当時のソ連軍の教範では、拳銃の携行時は弾倉そのものを外しておき、使用直前に弾倉を装着して薬室に弾薬を装填するとされていたため、「トカレフの安全装置なし」は、生産工程の省略化を目的とした、いわば主用者たるソ連軍としては「理にかなった設計」といえた。

         

         だが94式拳銃の場合は「とんでもない拳銃」を超えて、ただの「欠陥拳銃」である。本銃では、トリガーとハンマーを連動させるシアー・バーが左側面に露出しているのだが、これを強く押すとトリガーを引いていないのにハンマーが落ち、薬室に弾薬が装填されていれば暴発する構造なのだ。しかもシアー・バーを直接押すだけでなく、たとえば、銃本体を落としたりしてもその衝撃で暴発する恐れがあった。

         

         特に最悪なのは、粗製乱造がまかり通った戦争末期の加工精度の低い製品で、このシアー・バーをロックする手動安全装置をかけた状態から解除すると、安全装置をかけた状態のときに、すでに撃発に動いていたシアー・バーをかろうじて押えていた手動安全装置が解除されるため、その瞬間に暴発するという恐ろしい代物だった。

         

         これは、トカレフのように「あえて意図された構造」ではなく、完全に「欠陥」である。にもかかわらず最後まで修正されることなく、約7万挺にもおよぶ生産が続けられたのは、何らかの理由で日本軍はこれを欠陥とは感じていなかったか、あるいは、開発や製造の関係者のメンツの問題などが影響していたのかもしれない。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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