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出現時には大口径ながら太平洋戦争時には旧式化した【14年式10cm高射砲】

日本陸軍の火砲~太平洋戦争を戦った「戦場の神」たち~【第38回】


かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。


        14年式10cm高射砲。大仰角をかけて射撃姿勢を示している。

         日本陸軍では、機動性のある高射砲を野戦高射砲、移動させようと思えば可能だが撤収と設置にやや時間を要するものを高射砲と称した。

         

         1920年代、まだ航空機は複葉で開放式コックピットが主流であり、さほど高高度を飛行できなかった。ゆえに高射砲も、その口径が75mm程度だったが、より大威力を求めるには、口径を大きくすればよかった。

         

         というのも、高射砲という砲は飛んでいる航空機に砲弾を直撃させるわけではなく、時限信管によって航空機の至近で砲弾を炸裂させ、飛散した破片によって航空機に損害を与えたり撃墜するのだが、砲弾が大きく、内蔵されている炸薬も多いほうが、炸裂した際の被害範囲が大きくなり、航空機に対する効果が向上する。

         

         このような理由から、日本陸軍は主に要地防空(固定防空)用として大口径の高射砲を求め、11年式7cm半野戦高射砲を拡大する方向で、口径105mmの高射砲の開発が進められた。そして1925年に、14年式10cm高射砲が制式化されたのである。

         

         この105mmという口径は、当時の陸軍用の高射砲としては大口径であり、威力面で期待された。ただ、弾薬が大きくなったせいで人力装填の限界から、毎分発射速度は1~2発と少なかった。

         

         高射砲は高速で移動する飛行機を撃つため、短時間で大量の砲弾を撃ち出せるほうが有利なのだ。そこで装填補助装置が開発され、1936年に実用化された結果、毎分発射速度は2~3発へと向上している。

         

         分解してホルト牽引車で牽引移動させることも可能だったが、設置・撤収ともに30~40分程度の時間が必要だった。

         

         大口径の高射砲で要地防衛に用いられたため、約70門が造られた14年式10cm高射砲は、そのほとんどが国内に配備されて太平洋戦争を戦った。しかし1940年代にはやや旧式化しており、それほど大きな戦果を得ることはできなかったようだ。

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        過去記事

        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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