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実戦配備の遅れが悔やまれる対戦車兵器【試製5式45mm簡易無反動砲】

日本陸軍の火砲~太平洋戦争を戦った「戦場の神」たち~【第34回】


かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。


        試製5式45mm簡易無反動砲の伏射姿勢。左端の兵士の肩の上に乗っているラッパ状の部分から、発射時の後方爆風が噴出する。これの危険範囲は左右5度、直後方5mだが、後方は20m以内が準危険範囲とされていた。

         第二次世界大戦で用いられた歩兵携行式対戦車兵器には、対戦車小銃擲弾(しょうじゅうてきだん)と対戦車ライフルを除くと、対戦車ロケット弾発射器(バズーカ、パンツァーシュレック)、対戦車無反動砲(パンツァーファウスト)、スピゴット式対戦車擲弾(てきだん)投射器(PIAT)が知られる。

         

         そして、従来の重い砲弾重量と速い砲弾速度という「運動エネルギー」による装甲貫徹に代えて、爆薬によって生じるノイマン/モンロー効果を利用した「化学エネルギー」で装甲を貫徹する成形炸薬弾(せいけいさくやくだん/HEAT弾)の登場が、「重い発射装置」である砲に代えて、これらの「軽い発射装置」である歩兵携行式対戦車兵器の登場を促した。

         

         日本陸軍は、歩兵携行対戦車兵器の要となるHEAT弾、そして不可欠なロケット弾や無反動砲の技術で遅れていた。しかし1942年にドイツからHEAT弾の技術がもたらされ、これをタ弾と称して歩兵砲や山砲用の同弾を生産し、低初速のこれらの砲での対戦車戦闘を可能とした。

         

         これに続いて、やはりドイツからもたらされた技術情報に基づき、歩兵携行式無反動砲の開発を開始する。これにタ弾を組み合わせれば、絶好の歩兵携行対戦車兵器となることも、ドイツから伝えられていた。

         

         開発は第1陸軍技術研究所でおこなわれ、試作は大阪陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)が担当した。こうして1944年に完成した歩兵携行式対戦車無反動砲は、試製545mm簡易無反動砲と命名されて試験に供された。ちなみに同砲は、ドイツのパンツァーファウストのような使い捨て兵器ではなく、アメリカのバズーカのように連用する兵器であった。

         

         試製545mm簡易無反動砲から撃ち出される試製5式穿甲榴弾は、弾頭部が平らでこれが垂直に命中した場合、約100mmの装甲貫徹力があり、日本陸軍が手を焼いていたアメリカ製M4シャーマン中戦車の装甲を、ほぼどこでも貫徹可能だった。

         

         最大射程は100mだが、確実な命中が期待できるのは30m以内での射撃である。ただし試製545mm簡易無反動砲には照準器が付いておらず、射角によって試製5式穿甲榴弾の前後の射距離を決めるだけで、左右はほぼ勘どころで命中させねばならなかった。

         

         また、試製5式穿甲榴弾にかんしては、緊急時には人間がそのまま投擲(とうてき)したり、手に持って敵戦車に体当たりするという使い方も示されている。

         

         当時の日本陸軍の歩兵携行対戦車兵器といえば、人間が担いだまま敵戦車に体当たりして自爆死する梱包爆薬や、敵戦車に突き立ててやはり自爆死する棒状の刺突(しとつ)地雷のような「必死」の自殺兵器しかなかった。なので、たとえ命中期待射距離30mといえども、「必死」ではなく「決死」で済む試製545mm簡易無反動砲が実戦部隊に配備されていれば、大戦後期の太平洋戦域における島嶼(とうしょ)戦やビルマの戦いにおいて、連合軍の戦車をはじめとする装甲戦闘車両との戦いが、わずかでも有利になったのではないかと悔やまれる。

         

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        過去記事

        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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