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【知られざる忠犬物語】二度主人の命を救って世界に名を馳せた忠犬タマ

日本人と愛犬の歴史 #23


これまでこの連載で数々の忠犬を取り上げてきた。今日ご紹介するのは、飼い主の命を二度も救った勇敢な忠犬「タマ」の物語である。


 

■血塗れになりながら主人の命を救って一躍有名に

 

 今回は、飼い主の命を二度救った忠犬タマの物語である。タマは昭和の初め、新潟県蒲原郡川内村(現在の五泉市村松地区)の農家、刈田吉太郎に飼われていた犬である。現在の柴犬にあたる、小型の日本犬だった。

 

 この地区には早出川(はやでがわ)という川が流れ、権現山(ごんげんやま)という山がある。その麓にある中川原村で、刈田は米や野菜を作っていた。こういう山奥の農家は、農業だけでは生活できない。刈田は山菜採りや炭焼きもしていた。畑作ができない冬には猟師になるのである。

 

 ある日、川下で暮らす知人の犬が5頭の子犬を生んだ。以前から猟犬が欲しいと思っていた刈田は、子犬をもらいに行った。その中に1頭、一回り小さい子犬がいて、知人は「猟には使えないだろう」と言った。しかし刈田はその子犬が気に入った。賢そうだったからである。

 

 その子犬は小さくて玉のように丸かったので、刈田は「タマ」という名前をつけてかわいがった。そして畑仕事にも山菜採りにも、炭焼きにもタマを連れていった。冬になると早出川には雪がたくさん降る。すると獣の足跡がつくので、猟もしやすくなる。
 
 そんな昭和9年(1934年)2月5日のこと。刈田は猟師仲間と共に権現山の八滝沢(はったきざわ)にあるロウソク立岩へ、ヤマドリを撃ちにいった。ロウソク立岩は文字通り、ロウソクを立てたように切り立った岩である。周囲は深い雪に覆われていた。

 

 タマはいつものように、匂いを嗅ぎながら先に進んでいく。そして獲物を見つけて茂みに飛び込み、刈田と知人が撃った。その時である。銃声が雪崩を惹き起こしたのである。逃げる間もなく、2人は雪に埋まってしまった。

 

 刈田は気を失っていたが、ふと気がつくと頭上で音がする。タマが刈田の所在を突き止めて、雪の上から掘っていたのだ。だが、刈田の体の上には硬い雪の塊が乗っていた。

 

 しかも頭には菅笠(すげがさ)をかぶっている。菅笠とは、菅の葉で編んだ丈夫な編笠である。軽くて丈夫なことから日除けや雨除けに、そして吹雪の中を行く時などに重宝された。

 

 タマは勇敢な猟犬だったが、何しろ小さな柴犬である。掘り続けるタマの爪は裂けて血まみれになった。それでもひるまずに掘り続け、ついに刈田は雪の中から抜け出すことができたのである。

 

 刈田はすぐに村人たちを呼んで知人を探した。タマはまたも奮闘して知人が埋まっている場所を突き止めたが、すでに亡くなっていた。刈田と共に家路に着くタマの足跡には血がついていたという。

 

 知人は助からなかったものの、身を挺して飼い主を救ったタマは新聞やラジオで賞賛され、忠犬として一躍名を馳せたのだった。それからも刈田とタマは、一緒に猟をする日々を過ごしていた。そして2年後、昭和11年(1936年)1月10日のことである。

 

 刈田はいつものようにタマを連れて猟に出た。目的はタヌキを捕まえることで、猟師仲間3人も同行していた。行き先は兎平で、深い雪に覆われていた。4人とタマはタヌキの足跡を追って急斜面に差しかかった。

 

 その時、刈田は長年の経験と雪崩に遭った体験から異変を感じ、仲間に「ここは危ない! 上の林まで走れ!」と叫んだ。しかし時すでに遅く、あっという間に雪崩が襲ってきたのである。足元をすくわれた人間と犬は斜面を転がり落ちていった。

 

 しばらくして雪崩がおさまり、あたりは静けさに包まれていた。そんな中でいち早く、タマが雪の中から頭を出したのである。そして抜け出すと、かすかな匂いを頼りに埋まっている刈田を見つけ出した。

 

 タマは「わん、わん」と吠え、その声を聞いた刈田はタマを呼び、何とか胸のあたりまで掘り出された。気を失っていた猟師仲間の1人も、タマの啼き声で気づき這い出してきた。

 

 その様子を偶然見ていた人が、村に知らせに走った。その間に、タマと刈田らは残りの2人を救い出すことができたのである。タマの足はまたも血まみれになっていた。二度までも飼い主の命を救ったタマの名声はさらに高まり、海外でも報道されて讃えられたのである。

 

 タマは生前から地元で銅像になっている。昭和11年(1936年)に胎内市笹口浜に、翌年には新潟市の白山公園に建てられた。戦後も昭和57年(1982年)、上越新幹線開通を記念して新潟駅南口コンコースに、翌年には五泉市の村松公園に建てられた。2000年代に入ってからも2つ建つなど、新潟県内には7つの像がある。

 

 また横須賀にも、新潟県出身の海軍関係者が昭和11年(1936年)に石像を建てている。タマはハチに劣らない、むしろそれ以上の忠犬とも言える犬だった。またその犬生は、ハチ公の生きた時代とほぼ重なっている。

 

 しかし、知名度の点でハチ公に劣るのはなぜか。ハチ公には、日本犬保存会創始者の斎藤弘吉という敏腕プロデューサーがいたこと、華やかな東京の渋谷に銅像が建ったことなど複数の理由があるが、最大の理由は物語性ではないではないだろうか。飼い主の命を二度も救ったタマは文字通りの忠犬で、名犬でさえある。一方ハチ公は、亡き飼い主との思い出の詰まった渋谷で、残りの犬生を過ごした。

 

 ハチはいつも、改札口に向かって少し頭を下げて座っていたという。そこには、人間の思い入れや解釈を許す強い物語性がある。そして人間は、物語を必要とする存在なのだ。

 

 そもそも筆者も含めて、人々はなぜ忠犬物語が好きなのか。それは物を言わず、言葉で反駁しない犬という存在に、安らぎと絆を求めるからではないだろうか。犬もまた長い時間をかけて、人間と共生するように進化してきた。
 
 犬は唯一、人間とアイコンタクトを取ることができる動物だ。遺伝子的に人間に最も近い類人猿にもできないことが、犬にはできる。目の周りの筋肉を発達させて白眼を作り、目で語ることができるようになったからである。

 

 そして最近の研究によれば、わざと幼児のような表情を作って人間を籠絡しているらしい。日本人は長く、世界的にも犬が好きな集団だった。最近は社会の高齢化で、お散歩のいらない猫に王座を奪われている。それでも、忠犬物語はこれからも人々を魅了し続けるだろう。

忠犬タマ公像

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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