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処刑間近の主を救うべく雪の野山を駆けた犬 秋田に伝わる「忠犬シロ」の物語

日本人と愛犬の歴史 #21


「忠犬」というとやはり「忠犬ハチ公」の物語が有名だが、日本にはほかにも数々の忠犬物語が存在する。今回は安土桃山時代の東北を舞台にした知られざる犬と人間の物語をご紹介する。


 

■主の命を救うために走った犬

 

 秋田県大館市葛原(くぞわら)の山腹に、老犬神社という小さな神社がある。地元の日本犬関係者以外には、あまり知られていないだろう。全国的な知名度は高くない。

 

 この神社は、「シロ」と呼ばれるある忠犬を祀ったものである。慶長年間、歴史で言えば安土桃山時代、現在の岩手県にあたる旧南部領の草木というところに、佐多六というマタギがいた。マタギとは、自然と共生する独特の生命観を持った土着の猟師である。佐多六は愛犬のシロと共に猟をしていた。
 
 佐多六は、源頼朝が開催した「富士の大巻き狩り」で功績を挙げた猟師、定六の子孫だった。慶長9年(1605年)には殿様から呼び出され、祖先の功により「天下御免の又鬼(マタギ)免状」を与えられている。

 

 この免状を持っている者は、他の領地や寺社の境内でも猟をすることを認められた。逆に言うと、普通は領内でしか猟を許されていなかったのである。当時、これは厳格な掟で、禁を破ったものは死罪だった。

 

 ある日、佐多六はいつものようにシロを連れて猟に出た。しかしカモシカを撃ち損ね、追いかけているうちに、現在の青森南端にある三戸(さんのへ)に迷い込んでしまい、地元の漁師とトラブルになってしまったのである。

 

 佐多六は、他の領地に入って勝手に猟をした疑いをかけられ、駆けつけた役人たちによって捉えられた。しかも運悪く、その日に限って御免状を家に置いてきてしまったのである。佐多六は必死で釈明したが、御免状の実物がないために証明できない。

 

 そこでシロに、家に帰って御免状を持ってくるよう言い聞かせた。シロは言われた通り家に戻り、妻に吠えたが伝わらない。仕方なく戻ってきたシロに、佐多六は御免状がある場所を繰り返し教えた。

 

 するとシロはまた、疲れた体を休めることもなく家に戻り、御免状が置いてある仏壇の下に向かって激しく吠えたのである。妻もようやく御免状のことだと悟り、それが家にあることに驚愕しつつ、シロの首に結び付けた。

 

 シロは雪の積もった山河を越えて懸命に走った。しかし間に合わなかった。佐多六はすでに処刑された後だったのである。シロは山中で雪に埋まった亡骸のそばで、何日も吠え続けた。シロの悲しげな遠吠えは幾昼夜も、山から三戸の城下に響き渡ったのである。この山は犬吠森(いぬぼえもり)と呼ばれるようになった。

 

 やがて三戸では地震が起こり、佐多六の処刑に関与した人々はみな命を落としたという。一方、佐多六の妻は所払いとなり、シロを連れて秋田領の葛原に移った。所払いは刑罰の中では最も軽いが、追放である。今と違って、地域共同体から排除されることは大変なことだった。

 

 やがて、いつからか妻のところからシロの姿が見えなくなる。その頃から、村の近くの丘に差し掛かると馬が急に動かなくなり、乗っていた人が落馬して怪我をするようになった。

 

 そこで村人たちが近辺を調べてみると、白骨化したシロの遺体が出てきた。村人たちはシロの怨念を恐れると共に、佐多六とシロの哀しい物語に心を打たれ、山腹に小さな神社を建ててその霊を弔った。

 

 これが老犬神社で、創建は元和(げんな)6年頃とされている。江戸時代が始まった頃である。御神体は複数の白犬像だ。焼失前の貴重な写真が、『往古日本犬写真集』(誠文堂新光社)の「秋田犬 老犬神社の由来」に掲載されている。白犬の像はどれも可愛い。

 

 小さい犬のぬいぐるみもたくさん置かれていて、創建以後の長い年月、地元の人々が思いを寄せてきたであろうことがしのばれる。ちなみに、中国語で「老」という字をつける時には、年長者に対する敬意や親しみが込められている。

 

 シロも「老犬様」と呼ばれ、次第に家内安全などを祈願する対象となった。動物をこうやって祀る習慣はキリスト教文化圏にはないもので、とても興味深い。動物と人間が地続きになっている文化的背景によるものだろう。狐や狼も祀られる。

 

 焼失前の老犬神社には、他にも明治時代に奉納された絵馬や、地元出身の木版画家が描いて奉納した絵馬も置かれていた。何より、殿様から下賜された貴重な御免状が保存されていたのである。これらも『往古日本犬写真集』に掲載されている。

 

 『往古日本犬写真集』の著者である岡田睦夫は、中学生時代から秋田犬を愛し、秋田犬協会の副会長まで務めた人物だ。その岡田の師匠筋に当たるのが、老犬神社再建に尽力した京野兵右衛門である。京野は湯沢の資産家で、日本犬保存活動を東北から支えた重鎮だった。

 

 京野は気に入っていた絵馬の焼失を深く悲しみ、再建後に新しい絵馬を奉納している。首に御免状をつけた白が、佐多六のところへ行くため全力で走っている様子が描かれている。悲壮感と躍動感にあふれ、見るものに訴えかけてくる。

 

 犬の伝承には白犬にまつわるものが多い。古事記や日本書紀に出てくる犬も、ほとんどが白犬である。実際には黒や赤(見た目は茶色に近い)、胡麻など、様々な色がいたと思われる。日本人は古来、白に純粋さを見たのだろう。ただ、猟では獲物と間違えないように白が好まれたというから、佐多六の犬は本当に白だったのではないか。

 

 シロは秋田近辺の犬だったから、いわゆる秋田犬の祖先である。秋田犬は昭和6年(1931年)に日本犬初の天然記念物に指定されたものの、戦争で壊滅的な打撃を受けた。生き残ったのは十数頭だったと言われている。

 

 その後の復元過程で、進駐してきた占領軍に好まれたこともあり、大型化が進んだ。その結果、現在のような足の長い大型犬になった。もともと大型は猟には向いていないし、私の知る限り、日本に大型がいたという記録はない。そういう意味で、老犬神社に置かれている可愛い犬の像は、古来の秋田犬の姿を伝えていると思われる。犬好きなら一見の価値がある。

 

 老犬神社では毎年4月17日に例大祭が行われる。今年は創建400年にあたり、地元自治会から新たに、シロの御神体を模した狛犬二体が贈られた。山中にひっそりとたたずんでいる小さな神社だが、参拝者のために記念スタンプや、御免状をつけて走るシロが描かれたお守りもある。

老犬神社がある秋田県大館市は「秋田犬のまち」として有名だ。

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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