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変わりゆく江戸・東京の情景を訪ねて~明治維新以降の日本橋に残る江戸情緒

Mummy-D&KOHEI JAPANの遠い目症候群#05

<Mummy-D&KOHEI JAPANの今日も遠い目で一献!>


歴史を肴に、美味しいお酒とお料理を堪能しながらゆるゆる語らうコーナー。

今回は歴史の情緒と近代都市の狭間に佇む「四つ葉」さんにお邪魔しました!

執筆/織江賢治


 

Mummy-D(以下D):それでは! 

 

KOHEI JAPAN(以下コ):日本橋に!

 

D&コ:かんぱ~い!!

 

コ:……っプハァ。

 

D:それにしても日本橋、濃かったね。最初にやった「歴史リアル謎解きゲーム『謎の城』in 日本橋」まじでムズかった!これはやりごたえ抜群よ。

 

コ:わっかんなかったね(笑)

 

D:でもこういうのがあるとさ、日本橋の観光もできるし歴史も学べるしめっちゃいいよね。

 

コ:ぜひ!

日本橋の歴史を満喫できるプログラム。謎解き好き、お城好きな方におすすめの「歴史リアル謎解きゲーム『謎の城』」は大阪城でも実施中。

D:さて、昨年までは家康にちなんだ裏大河紀行でしたが、今回から新たに古道・旧道を巡る旅の第一回目となりまして、どう? コーヘイ古道・旧道好きじゃん。

 

コ:そもそも古道・旧道に興味を持ったのが、うちの近所の大山街道を散歩してたのがきっかけなんだけど、その大山街道……246の旧道ってのが、くねくねしていて。そういう「そもそもの道」、古い道を探して歩くのが好きで、それでいまだに歩いてるんだけど……。

 

D:まだ歩いてるの?

 

コ:歩いてるよ。現代の道は直線ばかりだけど、昔の道ってのは傾斜とかもあって山もあって谷もあって、そんななかで人が歩きやすい道をずっと作ってきたわけで。人が歩けば歩くほど、道がどんどん広がっていって。そういう道の成り立ちを実際に歩いてみるのは面白いなって。

 

D:なんか真面目に話してるけど、要するに自分ちのそばの旧道をトリス飲みながら歩いてるだけだろ?(笑)

 

コ:まぁ、そうだね(笑)

 

D:僕ら246は自分の家の周りにあるからさ。例えば渋谷から瀬田くらいの間でも、三茶にある弧を描いている旧道とか、用賀の駅前を通ってシュっと出てくる道は細い、とかさ。そういうのがたまんないよね。さらに、そういうところに行くとイイ商店とかあるしね。

 

コ:去年の八王子に行った時の甲州街道は良かったねえ。

 

D:で、その第1回目ならば、とりあえずは日本橋行かなきゃダメだろということでね。コーヘイは今日歩いてみてどうだった?

 

コ:まず僕らは日本橋の日本橋由来記の碑に集合したんだけど、日本橋の揮毫が徳川慶喜が書いたものとは知らなかった。

 

D:おれ写真撮ったけどさ、これ、真面目な字だよね。整っていて達筆で。個人的にはあんまり上手くない揮毫とか、配分間違えて最初の1文字目が大きくて下に行くにつれてだんだん小さくなっちゃうようなのが好きなんだけどさ、これは慶喜さんっぽいよね。

 

コ:そして、日本橋を渡って三越側には道路元標の複製があって。こちらは佐藤栄作さんが書いたんだね。

 

D:日本橋と道路元標。ここが五街道の始まりで、南に行ったらそのまま東海道になってて、北の方は徐々に枝分かれして日光とか水戸とか、皇居をぐるっと回る形で甲州街道が始まって。でもさすがにさ、日本橋の昔の浮世絵を見ていただけると分かるけど、ここでこれを想像しろって言うのはちょっと難しいよね。プロの遠い目師の俺達でもね。

 

コ:今回はここでは遠い目はしづらかったね。

 

D:なにより上に首都高が通っちゃってるわけだよ。日本橋の、日本の一番大事な橋の上に! バカヤロウと!

 

コ:1964年の東京オリンピックの突貫工事の際にそうなったんだよね。すごいよなあ。

 

D:日本橋って橋自体がすごいかっこいいのにね。欄干に麒麟の彫刻とかしてあって、しかも自由に日本中に飛び立てるように羽も付いてる。でも飛び立とうとしても首都高にぶつかっちゃう。ひどいよね。2040年をめどに首都高を付け替えて、日本橋を元の姿にしようとしてるらしいけど。

コ:この辺はとにかくビル圧がすごいから、首都高がなくなったくらいでたいして変わんないよって気もするけど、川の上になにもないだけでもだいぶ景観が良くなるよね。

 

D:でもあと16年だよ? オレたちすっかりジジイだよ。

 

コ:もう老眼シンドロームじゃん(笑)

D:その後魚河岸碑や按針通りを見て向かったのが、江戸の町割りが始まった地点。あの辺りすごいきれいだったよね。

コ:町割りって言うと簡単だけど、町の始まりでしょ? 誰が造ったの?

D:1590年に江戸に入った家康が~って書いてあったじゃん(笑)。で、ここが最初の町割りってことは中心中の中心だよね。

 

コ:日本橋界隈が中心とならざるを得ないくらいの人や物が集まってきちゃって、ここから割っていかないと町が奇麗に成立しないってことなのかな。

 

D:そうだね。三越の前のところに生臭い魚河岸があったってのが信じられないんだけど、そういう食べ物とかが集まるところに人が集まるから、あそこから作っていったんだろうけれど。

 

コ:そういえばさ、いま吉宗の本読んでるんだけど、高札場って日本橋に設置されてたんじゃなかったっけ?………以上

 

D:なんだよその断片的な情報は(笑)。俺たちその後、迷子の碑「一石橋迷子しらせ石標」に行ってんだろ? おまえ気が利くじゃないか、その話に持っていくのか? と思いきや「以上!」って(笑)

 

コ:あははははは。

 

D:迷子がいっぱいいたってことは、庶民もいっぱい買い物とかに来てたわけだよ。高札場があって情報の発信場所でもあって、しかも隣がまた日銀じゃん。江戸時代に金座があったとこだよね。経済の中心でもあったし。……俺さ、日銀に入ったことあるのよ。

 

コ:マジ!? あのね。この辺歩いたことがある方は分かるけど、日銀周りには警備員がすごくて、絶対これは入れないよねって皆で話してたんだけど……入ったことあんの?

 

D:あるの! いや、敷地内に無断で入ったってことじゃないよ。昔ね、バイトで現金輸送をやってたんだけど、本当に各現金輸送業者が地下に入っていって、そこで新札?の受け渡しみたいのをやるのよ。ほんとに映画みたいに新札がビッチリ乗ってるパレットが並んでるわけ! それで「●●銀行さーん」「××銀行さーん」って呼ばれて取りに行く感じ。あれはね、なかなか見れないよね。

 

コ:金の流通の始まりだもんね。新しい札が銀行にいって。

D:ビッチりで! まあまあまあ日銀はいいとして、隣の貨幣博物館。これね、ただでメチャクチャ面白くて充実した博物館なので、ぜひ見に行って欲しいよね。

 

コ:面白かったよね。つまんねぇかなって思ったけど、充実してたし新札レプリカも展示してたし、じっくり見ちゃったよね。この和同開珎ヤベェー!!って。

 

D:あとは、常盤橋と門跡か。コーヘイは行ったことあった?

 

コ:おれは神田で働いていた時にあそこまで散歩に行ったり、なんだかんだ3回目くらいだったかな。でもそれも20年くらい前の話だから久々に行ったんだけど、キレイに整備されてたね。

 

D:そうそうそう! 俺も思ったんだよ。今日はぐる~っと新常盤橋からまわって裏側から周って入ってったけど、20年前くらい前は日銀側から橋を渡って、そこにバーンと石垣だけ残ってるみたいな。で、どんつきだったよね。

 

コ:確か抜けられなかったよね。

 

D:ただあの枡形はそうとうデカいよね。ちょっとびっくりした。ネットで検索したら出て来るけど、古写真と見比べたりすると、両側にたぶん櫓が建ってなのかなあとか想像できて、なかなか脳内再現度が上がったよね。

 

コ:隣の広場には渋沢栄一像もあって。道を挟んだ先では日本一の高層ビルが建設中でしょ? 

D:何メートルだっけ? 390m! ちょっと想像できないよね。日本一ってことはあべのハルカスより高いってことだから、見上げるどころじゃなくて、頂上は見えないよね。

 

コ:歴史的建造物と最新の建造物が同時に存在するっていうのは感慨深いよね。

 

D:ってことで最後に総括だけど、コーヘイは★いくつ?

 

コ:按針通りの裏道はもう一回歩いてみたいね。あとは町割りのスタート場所かな。日本橋自体も五街道のスタート地点で重要なポイントだとは分かるんだけど、遠い目ができるかといったら、自分の遠い目スキルがまだまだなので。あまりにビルの中すぎて、それをすべて消し去って昔を想像するっていうのがなかなかね。自分に負けたというかね。だから★3にします、

 

D:おれは、そうだなあ。どこいっても楽しいし点数を付けるのは難しいんだけど、★3.5くらいにしておこうかな。そして一番の遠い目ポイントは期待を込めてスタート地点、日本橋の橋の上! おれレベルになるとスキルが高いからハッキリ言って首都高くらいは消せる。でも2040年に首都高が取っ払われるわけでしょ? そうするとあの上に空が広がったりするわけよ。そうなれば魚河岸があって、買い物に来てる庶民がいっぱいいて、ガヤガヤしている賑わいとかを自分の頭の中で想像してもっと楽しめるし。

 

コ:wwww

 

D:いや、消せるよ? これだけ長い間見てるとモザイクも取れるもん。もはやAIに近い。そのスキルがあるからさ。

 

コ:遠い目というものをどんどんスキルアップしていくと、モザイクも取れると。

 

D:読者の皆さんにはそこに気付いて欲しい。歴史だけじゃないんだ、もっとメリットがいっぱいあるんだよ。遠い目というのは薄い目ってことでもあるから!

 

コ:全国の中高生みんなやってたから!(笑)

 

D:というわけで、「遠い目シンドローム」は今回が最終回で、次回から「薄い目シンドローム」になります! 次回の古道・旧道・街道を行く薄い目シンドローム、よろしくね!

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Mummy-D(兄)
1970年横浜市生まれ。ラッパー、プロデューサー。1989年に宇多丸と出会いRHYMESTERを結成。日本のヒップホップ・シーンを、黎明期から開拓、牽引してきた立役者。近年は益々旺盛な音楽活動に加えて、役者業や、歴史好きが高じて、歴史にまつわるトークショウに登壇したり、桑名市の歴史観光PRアドバイザーを務めるなど、活躍が多岐にわたる。近作に6月リリース、ライムスター・アルバム『Open The Window』(Billboard週間8位/Billboard配信1位/オリコン週間12位)。キャリア34年目にしてソロデビュー! Mummy-Dシングル「同じ月を見ていた feat. ILL-BOSSTINO」配信中。2024年2月16日にはツアーファイナルとして日本武道館公演を大成功させた。
HP: https://www.rhymester.jp
Instagram: @mistadrunk

 

KOHEI JAPAN(弟)
1971年横浜市生まれ、ラッパー、プロデューサー。1994年、ラッパーのKINらとメローイエローを結成。マチズモとは一線を画す、等身大でユニークな世界観が、その後の日本のシーンに多大な影響をもたらしている。またソロアーティストとしても活躍。「生活レベルの喜怒哀楽」を巧みにヒップホップに昇華して、報道番組、新聞各紙などでも特集されてきた。兄とともに歴史好きとしての一面も持ち合わせ、明治維新150年という節目に、佐賀藩の歴史をラップで紹介、肥前名護屋城跡PRムービーの楽曲制作を行うなどの活動も。近作に8月リリース、KOHEI JAPANシングル「Dance In The Dark」が配信中!
Instagram: @koheijapan_

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