日本陸軍初の本格的対戦車砲【94式37mm砲】
日本陸軍の火砲~太平洋戦争を戦った「戦場の神」たち~【第1回】
かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。

ガダルカナル島の戦いにおいてアメリカ海兵隊第2レイダー(襲撃)大隊によって鹵獲された94式37mm砲。1942年11月の撮影。
第1次世界大戦で出現した戦車はまだ装甲が薄く、一般的な野砲の直射で撃破可能であった。そして同大戦後も、しばらくその状況は続いた。しかし野砲は大きく重いので機動性に欠けた。そこで各国は、歩兵とともに機動可能な対戦車砲を開発する。
当時の装甲の薄い戦車を撃破するには、歩兵が運用しやすい小口径高初速砲で徹甲弾を撃ち出すのが最適だと考えられた。そこで砲腔口径20~40mm程度で、いざとなれば人力での牽引も可能な軽量の対戦車砲が、各国に登場することになった。
日本陸軍もまた、対戦車用ではなく敵の機関銃巣攻撃用に砲腔口径37mmの中初速砲を保有していたが、本格的な対戦車砲が必要だと判断し策定に入った。そして実物の戦車を用いた装甲貫徹力試験などを実施。その結果、砲腔口径はやはり37mmながら高初速の速射砲が開発されることになった。ちなみに日本陸軍では、対戦車砲という言葉は用いず速射砲と称した。
試作砲は1933年12月に完成し、各種の試験に供されて改修個所や問題個所の洗い出しが行われた。そして94式37mm砲として制式化された。本砲に使用する94式徹甲弾は、射距離350mで30mm厚、1000mで20mm厚の装甲を貫徹する威力があり、装甲貫徹後に炸裂して戦車内部に被害を及ぼす徹甲榴弾(てっこうりゅうだん)だったが、37mm程度の小口径対戦車砲の場合は、全金属製の徹甲弾のほうが装甲貫徹力が向上することが多い。また、人員や非装甲車両など軟目標射撃用の94式榴弾も用意されていた。
94式37mm砲が大々的に活躍したのは1939年のノモンハン事変が最初で、ソ連のBT-5やBT-7、T-26などを多数撃破している。続く太平洋戦争では、マレー作戦やビルマ作戦で戦ったイギリス製装甲車などには圧勝したが、その後に遭遇したアメリカ製のM3スチュワート軽戦車やM3リー/グラントとM4シャーマンの両中戦車との戦いでは、装甲貫徹力不足で苦戦を強いられた。
しかし車体と砲塔の継ぎ目(ターレット・リング部)を狙い撃ちしたり、近距離からの側面攻撃で戦果を得ている。だがこのような近接戦闘では、小さな防盾しか備えておらず防御力皆無といってもよい94式37mm砲1門当たり11名の砲員たちは、戦果と引き替えに多くの犠牲を出すのが常だった。