直線翼ジェット機時代後期の機体【ホーカー・シーホーク】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第21回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

ホーカー・シーホーク。イギリス空母イーグルの飛行甲板上で発艦に向けて準備中の様子。
第2次世界大戦の名残で、同大戦直後のイギリス海軍は、アメリカ海軍に次いで多くの空母を保有していた。そのため艦上機も各機種が求められ、特に制空と艦隊防空の要となる艦上戦闘機に関しては、より優れた機体が必要とされた。
元来、イギリスはジェット機とジェット・エンジンの先進国だったこともあり、かようなニーズに基いて、暫定導入されたシーヴァンパイアに次ぐイギリス海軍初の艦上ジェット戦闘機スーパーマリン・アタッカーを制式化。しかし同機にはさまざまな不満もあったことから、その後継となる艦上ジェット戦闘機ホーカー・シーホークの開発が進められた。
シーホークは、アタッカーと同様に直線翼を備えていたが、同時期、アメリカでは後退翼のP-86(のちのF-86セイバー)の開発が進められていた。
実はイギリスもジェット戦闘機における後退翼の優位性は当然ながら理解していたが、陸上基地に比べて運用条件が厳しい空母で使われる艦上ジェット戦闘機であることから、あえて冒険はせず、従来の直線翼艦上戦闘機アタッカーで培った実績を反映させた保守的な設計とされている。
シーホークは1947年9月2日に初飛行したが、そのわずか一月後の同年10月1日に後退翼を備えて長らく現役に留まり続けた傑作ジェット戦闘機F-86が初飛行したことを考えると、やはり本機が保守的(旧設計)な機体であることは否めない。
しかも量産型の部隊配備は1953年からと遅れたが、これには戦後に徐々に悪化していたイギリスの経済事情も影響している。とはいえシーホークはアタッカーより優れていたため、1955年までに第一線機は本機に置き換わっている。
シーホークは第2次中東戦争のような1950年代の国際紛争に投入されて実戦を経験。また、イギリスから余剰の空母を購入したオランダ海軍とインド海軍が艦上戦闘機として導入し、第2次世界大戦後に再興された西ドイツ軍の海軍航空隊も、陸上基地発進の洋上制圧機として運用した。
信頼性の高いジェットエンジンのロールスロイス・ニーンと、直線翼でオーソドックスな設計の機体の組み合わせにより、クセがなく飛ばしやすいシーホークは、後退翼機と比較される時代背景的な性能の低さを別とすれば、パイロットたちに好意を持って受け入れられるジェット機だったという。