レシプロ機から誕生した北欧初のジェット戦闘機【サーブ21R】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第15回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

飛行中のサーブ21R。1947年という早い時期に、レシプロ機を改修したとはいえ実用ジェット戦闘機を独自に開発したスウェーデンの技術力には驚かされる。
スウェーデンは北欧の小国ながら、第2次世界大戦前から工業先進国であり、同大戦において世界各国で生産・運用したボフォース40mm機関砲をはじめとして火砲はもちろんのこと、戦車、軍艦、小火器など各種兵器の開発・製造能力も高かった。
そのスウェーデンのサーブ社は1943年7月30日、サーブ21戦闘機の初飛行を成功させた。同機は双胴式(そうどうしき)で、エンジンは中央胴体の後部に推進式に搭載されていた。しかしこのようなエンジン配置の場合、緊急脱出時などにコックピットの後ろで回っているプロペラにパイロットが巻き込まれてしまう。
それを避けるため、サーブ21には当時としては先進的なメカニズムだった同社が開発した射出座席 (しゃしゅつざせき) が組み込まれていた。このような発想とそれを実現する力が、小国ながらスウェーデンは擁していたのである。
第2次世界大戦末期になると、ジェット機が実戦で運用されるようになった。そこでジェット・エンジン関連技術の取得が容易化した戦後すぐに、サーブ社はサーブ21にジェット・エンジンを搭載する作業に着手した。なお、このプランを立ち上げるに際しては、本機と同じ双胴のデザインを備えた、イギリスのデハヴィランド・ヴァンパイアの例も参考にされている。
サーブ社のみならずスウェーデンにとって初のジェット機開発に際し、同社の当初予測では、最低でも70パーセント程度はサーブ21の設計が共用できるのではと考えられていた。しかしレシプロ・エンジンとジェット・エンジンではエンジンとしての特性が異なることもあって、ジェット排気の直撃を避けるため水平尾翼の取り付け位置を高くするなど、最終的には50パーセント程度の共用性しか得られなかった。
とはいえ、全体設計としてはレシプロ機のエンジンをジェット化したわけであり、サーブ21Rは、実用レシプロ戦闘機から実用ジェット戦闘機へと「脱皮」を遂げることができた、世界で2例しかない成功例のひとつとなった。ちなみにもう一例は、ソ連のヤコブレフYaK-15フェザーである。
当初、サーブ21Rは戦闘機としての運用が考えられていた。しかしサーブ社が最初からジェット戦闘機として設計した後継機の性能が優秀だったこともあり、本機は生産された全64機が戦闘爆撃機として完成した。
かくしてスウェーデンは、北欧の小国ながら、第2次世界大戦終結後わずか1年10か月しか経っていない1947年3月10日に国産ジェット戦闘機の初飛行を成功させ、実戦配備を成し得たのであった。