イギリス空軍が採用した異形のジェット戦闘機【デハヴィランド・ヴァンパイア】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第7回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

飛行中のカナダ空軍のデハヴィランド・ヴァンパイア。本機はヴァンパイア(吸血コウモリ)の愛称に相応しい平面形を備えている。
イギリス空軍は1940年代初頭に、グロスター・ミーティア以外にもジェット戦闘機の開発を求めた。特にミーティアはグロスター社からの提案で、信頼性と出力に欠ける初期のジェット・エンジンの欠点を補うべく双発化されることになっていたので、単発のジェット戦闘機が空軍の興味の対象となっていた。
これを受けたデハヴィランド社では、当時のジェット・エンジンの出力の低さから、強度を保ちつつ機体を軽量化しなければならないこと、同じく当時のジェット・エンジンは頻繁な整備を必要としたことから、整備時のエンジンへのアクセスが容易であることといった条件をクリアするため、アメリカのレシプロ双発戦闘機ロッキードP-38ライトニングのような、クセのある外観となるツインブームが導入された。
かくして社内名称DH.100は、1943年9月20日に初飛行に成功。ヴァンパイアの愛称が付与されたが、本機は、ミーティアに続きイギリス空軍が採用した2機種目のジェット戦闘機で、同空軍は速やかに量産を要請した。しかし戦時下だったため既存の必要な機種の生産が優先されて本機の生産は先送りとされ、結局、第2次世界大戦の実戦には間に合わなかった。
しかしヴァンパイアは、信頼性が高いうえに運動性能が良好で、飛ばしやすい機体に仕上がっていた。一方で弱点は、燃料搭載量が少ないため航続距離が極端に短い点だったが、設計の部分変更などで燃料搭載量の増大が図られた。
この航続距離の短さにより、実戦部隊配備の初期には迎撃戦闘機とされていたが、燃料搭載量改善の結果、持ち前の運動性能の良さもあって戦闘爆撃機型がもっとも多く生産された。
また、2人乗りの練習機型はコックピットがタンデムの配置ではなくサイド・バイ・サイドの配置のため、教官と飛行訓練生のコミニュケーションがとりやすく、しかも飛行性能が素直なため好評であった。
航空自衛隊もこの練習機型を1機、1956年に購入して研究対象としたが、アメリカ系の航空機に親しんだ日本では進捗はなかった。しかしオーストラリア、カナダ、ローデシアなど、かつてのイギリス連邦系の国々でのヴァンパイア・シリーズは好評で、オーストラリアやスイスなどではライセンス生産も行われ、長期間の運用が続いた。ローデシアでは、本機を1970年代まで実戦運用して最後の実戦運用例とされ、スイスでは、練習機型の退役は実に1990年であった。