『江戸吉原〜みやびのしおり〜』公文書に記されない吉原遊廓の指南書、もしも江戸時代にタイムスリップしたら・・・
はじめての吉原ガイドブック
江戸幕府公認の色町であり、身分をこえて交流できる江戸最大の社交場でもあった吉原。現代のように無料案内所があるわけではない。当時の人はいったいどうやって遊んでいたのだろうか。吉原初心者の男性を主人公に、蔦屋重三郎が活躍した18世紀後半の吉原を見ていこう。

蔦屋重三郎版の『吉原細見』。店のマークや店主名、遊女名、ランクなどが見やすく記されている。寛政7年(1795)刊/国立国会図書館蔵
■江戸時代の吉原にタイムスリップ! まずはガイドブックを買おう
あなたが江戸にタイムスリップし、吉原に行くとしよう。時代は安永~天明期(1772~89)で、蔦屋重三郎が出版社・書店である耕書堂から戯作や浮世絵の話題作を次々と刊行していたころである。
時代小説や古典落語、テレビ・映画の時代劇を通して吉原のことは知っているつもりでも、やはり実際に、しかもひとりで行くとなると、事前の調査をしたい。そこで、吉原のガイドブックともいうべき『吉原細見』の出番である。
吉原の大門の前にある書店で吉原細見を買い、奥付を見ると、
板元 蔦屋重三郎
と、あるではないか。
ちょっと、うれしくなるかもしれない。吉原細見をながめると、妓楼と、そこに所属する遊女の名前や揚代(料金)がわかり、便利である。
しかし、現代人としては顔写真が掲載されていないのは、なんとももどかしい。
(よし、こうなれば、当たって砕けろだ)
あなたは勇気をふるいおこして大門をくぐる。
大門をくぐると、仲の町と呼ばれる大通りがまっすぐに伸びている。仲の町の両側には引手茶屋が軒を連ねているが、ところどころ、木戸門がもうけられていた。
この木戸門をくぐると、吉原内の各町の通りがあり、両側に妓楼が並んでいる。
あなたは吉原細見で角町(すみちょう)の巴屋に目星をつけていたので、仲の町から木戸門をくぐって角町の通りに入った。
すでに日が暮れていたが、通りは人でごった返している。とくに、妓楼の張見世(はりみせ)の前には男たちが群れをなしていた。
妓楼はすべて2階建てだが、1階には通りに面して、張見世と呼ばれる格子張りの座敷があった。この張見世に遊女が居並んでいるので、男は格子越しにながめて、相手を決めるのだ。

【図1】張見世と入口。格子の外から男たちが遊女の見定めをしている。『白浪日記』東里山人著/文政5年(1808)刊、国立国会図書館蔵
【図1】に、張見世が描かれている。図では、左の暖簾のかかっているところが入口である。
あなたも男たちにまじって、格子に顔を押し付けるようにして遊女を観察すると、大行灯の明かりを受け、みな妖艶と言ってもよいほどだった。
(うん、あの女は俺の好みだな)
あなたが入口に向かうと、そこにいた若い者が声をかけてきた。
「ご初会(しょかい)でございすか」
「うむ」
「どのお子でございすか」
名前を知らないので、あなたは口ごもり、苦し紛れに言う。
「あの、右から3番目の、紅色の着物に黒い帯をした……」
「へい、へい、あのお子は、花魁(おいらん)の若竹さんでございす」
若竹は上級遊女の花魁だった。
若い者は張見世に向かって声を張り上げる。
「若竹さ~ん、お仕度ぅ~」
あとは、もう若い者に任すしかない。
暖簾をくぐって中に入ると、広い土間である。土間から上にあがり、さらに若い者に案内されて階段をのぼる。
階段をのぼると、2階は【図2】のような光景だった。多数の座敷があり、酒宴が開かれているのか、三味線の音色と笑い声が聞こえる。その活気には圧倒されそうだった。
そんな中、あなたが案内されたのは引付座敷と呼ばれるところである。初めての客はここで、まず遊女と対面するのだ。

【図2】2階の光景。遊女との遊びはすべて2階で行われた。『白浪日記』文尚堂虎円著/文化15年(1818)刊、国立国会図書館蔵
しばらく待っていると、遣手(やりて)と言う監督係の女と若い者に付き添われ、若竹が引付座敷にやってきた。続いて、遊女見習いの12、3歳くらいの禿(かむろ)が酒を持参した。
遣手の仲立ちで、あなたと若竹は盃を交わす。三々九度を模した儀式だった。
簡単な挨拶をしただけで、若竹はすげなく立って引付座敷から出て行く。
さあ、これからが今後の遊び方の交渉である。
別座敷に移り、芸者や幇間(ほうかん)を呼び、さらに仕出料理を取り寄せ、にぎやかな酒宴を開いてもよい。あるいは、すぐに寝床に行く、いわゆる「床急ぎ」もありである。
酒宴をすればいくらかかるかわからないため、あなたは遣手や若い者に床急ぎであるのを告げた。この際、さりげなく遣手と若い者に祝儀を渡す。
花魁は個室をあたえられている。そのため、若い者はあなたを若竹の部屋に案内した。すでに布団が敷かれている。
何もすることがないため、寝床に横になって若竹が来るのを待つしかない。
しばらくすると、さきほどの若い者が顔を出した。
「つとめをいただきやしょう」
つとめとは、揚代のことである。
「いくらですか」
「若竹さんは花魁でも『座敷持』でごぜえすから、金二朱でごぜえす」
花魁にも階級があり、揚代は異なっていたのだ。
あなたは内心、ほっとしながら二朱金を渡す。もし持ち金が足りなかったらどうしようと、かなり心配していたからだ。
■いよいよ花魁と対面 朝帰りが吉原の作法
若い者が去ると、またもやあなたは部屋でひとりである。落語で聞いた「振られる」状況が脳裏をめぐる。遊女は複数の客を取っている、いわゆる「廻し」の状態のとき、客の何人かは放っておくことがあるという。
「待っていてくんなましたか」
床着に着替えた若竹が現れた。
初会の客と遊女の床入りの光景が、【図3】である。
遊女は緊張している客に、
「煙草、あがりんし」
と、いわゆる吸い付け煙草を勧めている。
このあとは、ふたりの世界と言うしかない。

【図3】遊女にタバコを勧められる客。『風流艶色真似ゑもん』鈴木春信画/明和7年(1777)頃、国際日本文化研究センター蔵
翌朝、夜明け前に目覚めたあなたは、当時の習慣に従い、「朝帰り」をする。早々と妓楼を出るのだ。
一夜を共に過ごした若竹は階段下まで付いてきて、
「また、おいでなんし。きっとでありいすえ」
と、いかにも名残惜しそうに見送る。
その後、若竹は自室に戻って二度寝をするのだ。
あなたが大門を出ると、駕籠かき人足が声をかけてくる。
「旦那、駕籠にしやせえ」
さあ、あなたはどうする?
日本堤を駕籠に乗っていくか、歩いていくか。
ひとりで吉原で遊ぶケースを書いた。仲の町の両側にある引手茶屋を通した遊びはかなり様相が異なるのだが、それは稿を改めて書こう。