【推し活】すべてを見届け安心感をあたえる“総取りサバイバー”な戦国武将・徳川家康
チャンスを信じて生き延びた先に・・・家康的ポジションの存在意義とは?
東進ハイスクール・秀英予備校など多数の講師経験を経て、現在は『スタディサプリ』で日本史・歴史総合・倫理・政経・公共・地理など社会科の8科目を担当する“日本一生徒数の多い社会講師”・伊藤賀一先生がオススメする戦国武将の推しポイントは・・・!?
2023年のNHK大河ドラマは『どうする家康』でしたが、戦国・安土桃山時代の「総取りサバイバー」は、徳川家康で文句なしでしょう。

徳川家康像
彼は、戦国武将の中では名(な)うての苦労人。幼少時に母と生き別れ、10年以上にわたり織田氏・今川氏の人質に。父は若くして家臣に殺害され、世話になった今川義元は桶狭間で討ち取られる。仇(かたき)のはずの「魔王」織田信長の同盟相手として命がけで働き、ロクに援助もなく三方ヶ原で武田信玄にこっぴどく負け、本能寺の変の直後は伊賀越えで約160キロを逃げに逃げる。のち、格下から「大化け」した豊臣秀吉に頭を下げて従うなど、ガマン、ガマン。
後世の私たちが「負けるが勝ちの処世術」「狸(たぬき)おやじ」等と言うのは簡単。本人はひたすら大変。いや大した人ですよ、まったく。アイドルグループでいえば、年上のメインメンバーが一人消え二人消え……、ああ、結局はこの人が好きかも、いてくれてありがとう! という総取りタイプ。結局は最強。ギスギスした現代社会に最も受けるキャラでしょう。
≪質問1≫ガマンの果てに「生き延びて」「総取りする」人の条件って、何だと思いますか?
私は「長い目でものごとを考えられる」ことだと思います。将来のチャンスを信じ、とにかく続ける。家康は、そんな人です。遺訓(いくん)「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」は、本当に言ったのかは別として、うぬぼれず常に自分に厳しい側面も含め、家康の生きざまを表しています。
また彼は、筋金入りの健康オタクとしても知られています。「戦国三英傑」のうち、8歳上の信長は1582年に48歳、5歳上の秀吉は1598年に61歳で亡くなっていますが、もともと若い家康は1616年、74歳になる年まで生きています。数値的にも「生き延びて」いるので「総取りする」ことができたわけです。
そういえば、信長は明智光秀の謀叛(むほん)を受けて「是非もなし(≒仕方あるまい)」、秀吉は辞世の句が「つゆと落ちつゆと消えにしわが身かななにわのことも夢のまたゆめ(≒はかない人生だった)」とあきらめの中で生涯を終えましたが、家康は「うれしやと再び目覚めてひと眠り浮世の夢はあかつきの空(≒夢だと思っていた天下泰平が現実となり嬉しい!)」「先にゆきあとに残るも同じこと連れてゆけぬをわかれとぞ思ふ(≒ただの順番だから殉死(じゅんし)なんてするなよ!)」と清々しい気持ちで往っていますね。
そして「素晴らしい家臣たちに囲まれていた」ことも忘れてはいけません。「徳川四天王」の酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政だけではなく、鳥居元忠や本多正信・正純父子、途中で裏切ったとはいえ石川数正も貴重な人材。そして江戸幕府創設後には金地院崇伝・南光坊天海が優れた相談役となります。
≪質問2≫さて、そんな「総取りサバイバー」の役割って、何だと思いますか?
私は「すべてを見届ける」ことだと考えています。今回の場合、乱世の絶頂から終結まで。織田信長のメジャーデビュー「桶狭間」、天下分け目の「関ヶ原」、そして豊臣氏滅亡の「大坂冬の陣・夏の陣」で戦国・安土桃山時代の幕を閉じたのは、誰あろう、家康です。「どうする」という疑問に対して、長生きして「見届ける」。これに尽きます。
≪質問3≫最後に「総取りサバイバー」の存在意義とはなんでしょうか?
私は「安心を与える」ことだと思います。推す側からすれば、実力ある人間が常にメインストリームから外れず、そこに存在していることじたいが安心なのです。
徳川将軍家の下で265年続く江戸幕府は、これぞ日本、という国家の完成形でした。ヨーロッパで産業革命さえ起きなければ、もっと続いていたことでしょうね。