【Mummy-D×KOHEI JAPAN】遊女の生き様と色街の歴史 大河ドラマ『べらぼう』で大注目の吉原遊郭跡潜入レポート
Mummy-D&KOHEI JAPANの遠い目症候群#09
<Mummy-D&KOHEI JAPANの今日も遠い目で一献!>
歴史を肴に、美味しいお酒とお料理を堪能しながらゆるゆる語らうコーナー。
今回は芝大門「立飲み そうざい てっぱん えんと」さんにお邪魔しました!
オーナーのCUEZEROさんはヒップホップMCであり、お2人にとって大事な仲間。貴重なトークをお届けします。
執筆/織江賢治

濃密な歴史さんぽ、お疲れさまでした!
Mummy-D(以下D):さてさて新年一発目! 明けましておめでとうございます&今年もよろしくお願いします。ということで、乾杯いいいいいいYeeeeeeeeeaaaaaaaHっ!
KOHEI JAPAN(以下コ):飲みたい気持ちが前のめりしてる(笑)
D:そらそうよ。今日はめちゃくちゃ鍛えられる道を通ってきたからね、俺たちは。浅草のホッピー通りの誘惑に打ち勝って、ようやくここにたどり着いて、芝大門!
コ:てかなんで芝大門? 吉原にいたのに。
D:ここは俺らの後輩というかね、CUEZERO(キューゼロ)君がやっている立ち飲み屋さんです。「立飲み そうざい てっぱん えんと」さんですね。
コ:結構駅から近くて、料理がすごいおいしいって噂には聞いてたんだけど。
D:そうそう。実はこの前のライブの時にCUEに弁当のケータリングを頼んだの。そしたらメチャメチャ美味くてさ。それなら店にも取材の後に行きたいねって話になって。
コ:おすすめは?
CUEZERO(以下CUE):勝手に芝大門カレー、芝大門焼きそばです。それに出し巻き玉子を1本載せる1本出し巻きカレー、1本だし巻き焼きそばも好評です。ほかにもトリプルチーズハンバーグとかが人気です。
D:それにしても30年か。確か俺らが20代で、CUEがまだ10代……そのころはもうKREVAとBY PHAR THE DOPESTを組んでたっけ?
CUE:そうです。お2人は僕からしたら「見てた先輩たち」なんです。お客として渋谷クアトロでのRHYMESTER、EAST END、MELLOW YELLOWのライブを見に行ったのが最初で。
コ:それから徐々にって感じだよね。
CUE:ですね。Dさんコーヘイさんたちが「FUNKY GRAMMAR UNIT」っていうヒップホップのコミュニティを結成して。それで池袋で主催してた「FG NIGHT」っていうヒップホップの定期イベントに行かせてもらって、少しずつ顔を覚えてもらったって感じです。
D:そう。まだ誰も売れてない。RHYMESTER、BY PHAR THE DOPEST、KICK THE CAN CREW、MELLOW YELLOW、RIP SLYME、みんないたって感じ。
コ:青春……。
CUE:てかコレ、誰に説明してんスか(笑)
D:ははははははは。じゃあ燃料を入れたところでそろそろ本題に行きますか。今日は裏大河紀行ということで吉原を歩いてみましたが、コ―ヘイはそもそも吉原に対してどういうイメージを持ってた?
コ:やっぱ吉原は“花魁”だよね。あとは、花魁からの『吉原炎上』、色街。今でいう大人の街というか、そういうイメージが強いよね、どうしても。実はまだ『べらぼう』観てないんだけど。
D:観てないのかよ(笑)
コ:いや、貯めて観ようかって思ってて、観るの我慢してる。
D:なんでガマンしてんだよ(笑)。でもまあ、吉原って言ったら遊郭だよね。俺も浅草の向こう側あたりがそうなんだよねっていう、それくらいまでは知っていたけど、行かないじゃん、なかなか。だから今日は面白かったな。
コ:今日は年配の方もいたし若めの方もいたし、明らかに『べらぼう』観て来た方も多かったね。
D:まだ現役の風俗街だから、ちょっと取材も気を使うけど、観光客らしき女性グループもそこそこいたよね。ガイド冊子を手にして。
コ:そのなかでオレが気になったのは、なぜ入口が曲がっていたのか……城のクランクとはまた違ってるんだけど。
D:確かにクランクじゃねえな、あれは。
コ:吉原のメインストリートの仲之町通りをわざと見えないように隠してるというか……。もちろん吉原というもの性質上、隠したかったんだろうけど。入口を曲げて入っていくというのは印象的だった。
D:それが今も残っているのもヤバいよな。
コ:あとは見返り柳。いまはガソリンスタンドに同化しちゃっている感じだけど、当時は周りが田んぼだったらしくて、夜なんかは周りは真っ暗。ドローンで上空から見たらあの街中だけ煌々と明かりがついてて、異様な世界だっただろうなって思った。
D:分かる。歩いてみてその情景がかなり浮かび上がってきて、グッときちゃった。仲之町通りもそのまま残っていて、道幅も当時のままだと思うんだよね。
コ:そうね。
D:お歯黒どぶは埋まっちゃったけど、街の区画はまったく残ってて市街地化しちゃってて……そのまま街に埋もれちゃってる感じが長崎の出島に似てるなって思ったの。
コ:ああ、分かる。それこそ第1回で行った佃(東京都中央区)もそうだね。
D:そうそう。それがたまんないんのよ。しかもね、半分が現役のお店なんだけど、それを含めていろんな歴史の継続を感じたりとか。
コ:そのど真ん中に耕書堂(江戸新吉原耕書堂/台東区の観光拠点施設)があるのも良かった。
D:うん。いまだにガチの街だから、あそこにできたことによって女性のべらぼうファンとかも来やすくなると思うんだよ。俺もなんかホッとしたというか(笑)
コ:一方で、南側の裏の方は普通の街っぽかったよね。歩くにつれ「色が薄まっていった」というか。
D:大門のほうはガチな店が多いので、ちょっと現実に引っ張られて憚られるものがあるんだけど、南側は仲之町通りがバーンて見えて、通りの両側に引手茶屋、そのまた両側に妓楼が並んでいたであろうことがすごく想像しやすかったな。
コ:九郎助稲荷の跡地にも行ったじゃん? あそこって街の区画の四隅のところでしょ? でも仲之町通りから実際に歩いても、5分くらいしかかからなかった。このなかに3000~4000人くらいがいたって思うと……。
D:考えさせられるよな。しかも九郎助稲荷のあった方はランクが低いお店が多かっただろうし。吉原神社にも行ったけど、実際の四隅にあった稲荷はもっともっと小さい稲荷だったんだろうなって思う。そんな、小さな社に向かって手を合わせていたっていうのを想像すると、ね。
コ:ささやかなお祈りってのがすごい伝わってきて、それがなんだか切ない。日々の、1日1日に対するささやかな願いって感じがする。
D:順番が逆になっちゃったけど、今日最初に見学したのが遊女たちの遺体が埋められた浄閑寺。吉原から浄閑寺までの距離も絶妙というかさ。あそこに埋めれば人目にもつかず、伝染病の拡大も封じ込められる、みたいな意図がありそうで。
コ:遊女が吉原から出られるのは、年季があける28歳になるか、身請けされるか、死んだときだったんでしょ?
D:身請けって、今の値段で数千万とか1億とかかかるらしいよ。えっ、『べらぼう』で小芝風花さんが演じてる五代目瀬川で1億4000万? ひえ~。どうする? コーヘイだったら払う?
コ:払えません。
D:だよなあ。年季で出られる遊女も多かったみたいだけど、病気にかかって放逐されたってのが実情みたいだし、若くして亡くなった人も多かったって聞くし。
コ:基本しんみり……切ないエリアじゃないですか。昔の悪い文化? 風習? の時代背景が垣間見れるし、まだ負のイメージがあるけれど、でも行っておいて良かったって場所でしたね。これからもっと、みんなが大切な場所になっていくんじゃないかなって思ったり。なので、今回は3点にしようかなって。
D:俺は点数でいったら4。残ってない街ではなく「残っている街」って感じがして、けっこう遠い目だったね。最初に浄閑寺に行ってさ、新年早々俺たちはお墓から始まるのかって思ったけど、ずーっと籠の鳥だった遊女がついに吉原を出る時は遺体として、あの華々しい日本堤を通ってお寺に向かったって考えると……ね。ほんと、江戸文化の光と影、両方見た感じでした。
コ:って、めっちゃイイ匂いがするんだけど。勘弁してよ!
D:お前、俺がせっかくいい話で締めようとしてるのに(笑)。それじゃ皆さん、また次回もよろしくお願いします。