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日本のために「アメリカとの橋渡し」をしたのに… 「外国人の愛人」として軽蔑され、身投げした「唐人お吉」の悲劇とは?

日本史あやしい話

 

■お吉に支えられ、日米通商条約の締結へ

 

 果たして、ハリス自身が侍妾を求めていたのかどうかはわからないが、お吉をあてがわれた後の彼の健康と心持ちが、大きく変化していったことは間違いなさそうである。

 

 当初こそ互い疑心暗鬼だったものの、その後献身的に奉仕するお吉に、ハリスの方が次第にのめり込んでいったようだ。酒を飲みすぎて吐血したこともあったが、その際、必死に看護にあたった彼女の姿に、心打たれるものがあったとも。

 

 また、折をみてお吉はハリスに対し、日本の情勢を教えていた。彼はお吉を通して日本側の実情を知り、その思惑を汲み取ることもできたのである。それが条約提携にどれほどの影響を与えたのか定かではないものの、安政5(1858)年、大老・井伊直弼が朝廷の勅許を得ぬままとはいえ、日米通商条約を締結している。

 

 奉行所の目論が達成されたのかどうかもともあれ、お吉の仕事も終焉を迎え、お吉にもそれなりの手切れ金が渡されたようである。

 

 この頃のお吉には、すでにハリスにお対して、それなりの愛おしさも芽生えていたようで、全てを金で解決しようとする奉行所に対して、憤りを感じていたかもしれない。しかし、お吉の思いも虚しく、文久2(1862)年、ハリスはお吉をおいて、ひとり本国アメリカへと帰っていったのである。

 

■外国人の侍妾となったことが、地元では蔑まれ…

 

 わずか1年余り(3日あるいは3ヶ月だけだったと見られることもある)の触れ合いだったとはいえ、お吉が外国人の侍妾となったことは、当然のことながら郷里では誰もが知るところとなった。

 

 いかにお国のためとのことであったとはいえ、彼女に対する世間の目は非情であった。嘲笑と罵声を浴びせられるような日々が、いつまでも続いたのである。

 

 一時は、別れたはずの鶴松とも再会を果たして同棲を始めたこともあった。しかし、夫の酒癖の悪さが原因で離別。その後、髪結業を営んでいたものの、これも長続きせず。安直楼なる小料理屋を開業したものの、これまた運に見放されたものか上手くいかず、わずか2年で廃業している。

 

 47歳の頃には、長年の不養生が祟って発病。健康も財産も失い、49歳の頃にはとうとう乞食となって近隣の住人たちにすがりながら、かろうじて命を永らえるというところまで落ちぶれてしまったのだ。

 

 その2年後の明治24(1891)年(その前年との説も)3月27日、とうとう世を儚んで、豪雨の中、稲生沢川(下田川)の上流・門栗ヶ淵(お吉ヶ淵)へと身を投げ、帰らぬ人となってしまったのである。波乱に満ちた51年の生涯であった。

 

■遺体は川岸に晒され、哀れんだ住職が埋葬

 

 何がいけなかったのか、それはわからない。ハリスの侍妾となってしまったことも、お金のためというより、お国のためと割り切ったものであったはず。それにもかかわらず、彼女は終始、世間の嘲笑を浴びて蔑まれ、何一つ満たされぬまま、生涯を終えてしまったのである。時代に翻弄されたとしか言いようがない、不運な女性というべきなのだろうか。

 

 彼女の遺体は、身寄りのないこともあって引き取り手が現れず、2日間、菰を被せられたまま川岸に晒されたままだったという。たまたま通りがかった宝福寺の住職がこれを哀れんで、懇ろに葬っている。彼女の墓が宝福寺にあるというのも、そのような経緯によるものであった。

 

 それから30数年後の昭和3(1928)年、十一谷義三郎が小説『唐人お吉』として取り上げたことを契機として、彼女の存在が広く知られるようになり、映画や舞台などでも取り上げられるようになっていったのである。

 

 かつてラシャメン(外国人の妾となった女性のこと)と蔑まされたお吉も、ここにきてようやく、本来のあるがままの姿として見つめられるようになったのだ。草葉の陰で、ホッと一息ついているに違いない。

 

■彼女を撮影したとされる写真は、本物にお吉のものだったのだろうか?

 

 さて、お吉にまつわる話題で、もうひとつ、付け加えておきたいことがある。それが、彼女を写したとされる肖像写真の真贋に関してである。この写真は、日本の写真家の草分けとしても名高い下岡蓮杖の弟子・水野半兵衛が下田の宝福寺に寄贈したと言い伝えられるもので、撮影者はこの師弟のうちどちらかが撮影したものと推測されている。

 

 しかし、この写真と類似のものが、横浜のアドルフォ・ファルサーリが経営する写真館で明治10(1880)年代から販売されていたこともあって、本当にお吉を写した肖像写真であったかどうか疑問視されているのだ。下田に興行に来た女旅役者だったとの説もあるようだが、果たして?

 

 それでも、お吉を知る人によれば、写真の女性と瓜二つだったとか。仮に写真が別人だったとしても、お吉がこの写真の女性とよく似ていたことだけは間違いなさそうである。

 

 童顔でありながらも、どこか儚げで物憂い表情が印象的。目の奥に、芯の強そうなところも見え隠れしているかのようだ。ハリスが心惹かれたというのも、なるほどと頷ける妖艶な少女だったのである。

 

 

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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