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日本ではなぜ「南北戦争」と呼ぶのか? 1860年代前半に起きたアメリカの内戦の名称問題

軍事史でみる欧米の歴史と思想

 

■アメリカ本国で多数つけられた名称

 

 1861年から65年までの北米大陸では、アメリカ合衆国(いわゆる北部)と自称アメリカ連合国(南部)の間で「南北戦争」が続き、合衆国の勝利で終戦した。アメリカ本国でこの戦争には何ダースもの名称が付けられてきたが、なかでも代表的なものをいくつかあげてみよう。これらの名称は、南北両部に対し中立的な名称、北部を支持する名称、南部を支持する名称の三種類におおむね分けられる。

 

 中立的な名称としては、The Civil War[直訳すると]内戦)、The War Between the States(諸州間の戦争)、The War of the North and South(北部と南部の戦争)、The Second American Revolution(第二次アメリカ革命)、The Brothers’ War(兄弟間戦争)、The War of the Sixties60年代の戦争)などがあげられる。ところがなぜか日本では、The Civil Warを南北戦争と意訳するのである。一つ目の英語名に三つ目の邦訳をあてた観がある。

 

 北部を支持する名称を紹介しよう。The War of the Rebellion(反乱戦争)、The War of Southern Secession(南部分離の戦争)、The War for the Union(連邦維持のための戦争)、The Great Rebellion(大反乱)、The Slaveholders’ Rebellion(奴隷所有者の反乱)などである。南部の分離や反乱による戦争という名が多く、戦争責任は南部にあるとする北部の意図が透けて見える。勝てば官軍といったところか。

 

 一方、南部を支持する名称には次のようなものがあげられる。The War for Southern Independence(南部の独立戦争)、Mr. Lincoln’s War(リンカン氏の戦争)、The Abolitionists’ War(奴隷制即時廃止論者の戦争)、The Lost Cause(失われた大義)、The War for States’ Rights(州権を守るための戦争)、The Yankee Invasion(ヤンキーの侵入)などである。南部の独立や大義、州権を守るために戦ったが、大統領とすら認めていないリンカン氏ら北部のヤンキーが力任せに侵入してきたので敗北したという哀愁が漂う。もちろん、戦争責任は北部にあったと言いたいのであろう。

 

 さすがに日本では、これら北部支持派・南部支持派の名称がこの戦争に当てられることはあまりない。中立的なThe Civil Warという英語名に、これまた中立的な「南北戦争」という意訳を添えるのがごく一般的である。「内戦」という直訳を使ってもいつの時代のどこの国の内戦かまったくわからないので、「南北戦争」はなかなか名訳と言えよう。なお日本には、14世紀に南北朝時代があり、アメリカと同様に北側が勝ったため、南北戦争という名に親しみやすかったとも言われている。さて、ことの真相はいかがなものであろうか。

ペンシルバニア州・ゲティスバーグの村を通る連隊。
米国国立公文書館所蔵

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布施将夫ふせまさお

京都外国語大学・京都外国語短期大学教授、学生支援部長。京都大学博士(人間・環境学)、関西アメリカ史研究会代表幹事。専門は19世紀後半における欧米の軍事史。主な著書に『補給戦と合衆国』(松籟社,2014)、『近代世界における広義の軍事史―米欧日の教育・交流・政治―』(晃洋書房,2020)、『欧米の歴史・文化・思想』(晃洋書房,2021)など。

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