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神功皇后はほんとうに朝鮮半島を“征伐”したのか? 天皇による「華々しい戦果」のウソ【古代史ミステリー】

日本史あやしい話

 

■「日本を恐れおののいて降伏」は本当なのか?

 

 まずは、『日本書紀』の記述をざっくりと要約してみよう。それによれば、神功皇后の侵攻に直面した新羅の王が、「神の国日本を恐れて戦うこともなく降伏」し、さらには新羅が降ったことを耳にした百済や高句麗の王までもが「日本を恐れて朝貢を誓った」とする。

 

 この文面をまともに信じれば、日本側が圧勝。三韓がことごとく恐れおののいて日本に降伏したと読めるだろう。しかし、果たしてそれが真実なのかどうか? あらためて検証してみることにしたい。

 

 まず、新羅への侵攻があったのかどうかであるが、これに関しては、朝鮮半島に伝わる史書『三国史記』にも、倭国が侵攻したことで、結果として新羅から王子を人質に出したという記述があるので、おそらく史実といえるだろう。百済も同様に連携を強化するためとして人質を倭国に送り込んでいるが、もしかしたら一時的とはいえ、両国とも倭国に降った可能性は残る。

 

 問題は高句麗だ。当時、弱小国であった新羅や百済と違って、高句麗の勢威は強大だったから疑いたくなる。そこで参考にしたいのが、4世紀末から5世紀初頭の半島の歴史を記した広開土王碑である。

 

 そこには、倭国が新羅や百済を臣従させたことは記されているが、最後には、高句麗が大軍を擁して倭兵を退却させたと記録されている。これが史実だとすれば倭軍は敗走させられた訳で、高句麗まで降伏させた云々という『日本書紀』の記述は、虚飾にまみれたものということになりそう。

 

 結局のところ、神功皇后の「三韓征伐」の信ぴょう性は薄いというべきだろう。新羅、百済への侵攻によって両国を何らかの影響下に置いたことは事実かもしれないが、高句麗まで降したなど、図々しいにもほどがある。

 

 ちなみに、遥か時代を遡れば、朝鮮半島南部は、天孫族にとっての原郷とも言えるところだった可能性もある。それを踏まえて、祖国を取り戻すための聖戦と考えた可能性もないとは言い切れないが、神功皇后の時代の新羅と百済に関していえば、もはや祖国と呼べるようなものではなかったはず。

 

 もちろん、彼らが反逆者だったわけでもない。となれば、当然のことながらこの戦いを「征伐」と呼ぶのは不適切と言うべきことも付け加えておきたい。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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