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【Mummy-D×KOHEI JAPAN】神奈川・川崎の歴史再発見! 江戸から近現代、未来へ続いてゆく風景を求めて

Mummy-D&KOHEI JAPANの遠い目症候群#08

<Mummy-D&KOHEI JAPANの今日も遠い目で一献!>


歴史を肴に、美味しいお酒とお料理を堪能しながらゆるゆる語らうコーナー。

江戸時代に宿場町として栄えた川崎宿をはじめ、江戸の文化と人々の営み、近現代の川崎の姿とこれから変わってゆく景色……盛りだくさんの歴史散策を振り返ります! 今回は、江戸晩期(1830年代)に登戸を通る旧津久井街道に旅籠として創業し、以来伝統の川魚料理を受け継いできた「日本料理 柏屋」さんにお邪魔しました。

執筆/織江賢治


■1日の川崎ロケを振り返って

川崎を歩き回った1日、お疲れさまでした!

Mummy-D(以下D):はいっ!……というわけで、今日の遠い目の旅も終わりました! ということで、かんぱーい

 

KOHEI JAPAN(以下コ):んんん~~~、美味いっす。

 

D:今日も(7月某日)マジ暑かったからね。ってことで、今日はどこに集合しましたかね。

 

コ:はい! えーと川崎市役所ですね。

 

D:そうね。駅前の繁華街のところに出来た……あれすっごい新しかったね。

 

コ:入口がカフェだったしさ、オフィスビルみたいでさ。全然役所っぽいニオイがなかったしさ。

 

D:取材前にトイレに行ったんだけどさ、そしたら新車のニオイしたもん。おれ、トヨタのモータープールで働いてたから間違いない! 完全に新車のにおいだった。

 

コ:はははは。でさ、それで集合して、どこか行くのかと言えば、なんと市庁舎の最上階の展望デッキまで行って、そこで川崎市街を一望したと。

 

D:これが25階だったんだけど、ちょっとね感動したね!

 

コ:みんなテンションの上りがすごかったね。遠い目症候群でいろんなロケしてきたけど、最高に高い場所っていうのは天守閣じゃん。ビルで言うと5~6階くらい? もちろん景色はいいんだよ。あっちから敵がとか、遠い目する分にはいいんだけど、今回はメチャクチャ高かったじゃん。遠い目症候群ロケでは新鮮な高さ(笑)

 

D:新鮮だよね。あっちが武蔵小杉で、あっちが東京だなってのが一望できた。逆を見ると今度は横浜も見えるわけだよ。さらに下を見ると旧東海道がちゃんと通ってて、あそこの六郷で多摩川を渡って品川の方に続いてて…最終的には日本橋に行くんだなって。

ⓒ歴史人

コ:あと展望台からの景色としては、多摩川のうねり。あれはすごかった。

 

D:多摩川は江戸・徳川の歴史を探る中でも大事な川なんだけど、あんなにうねってんだっていうのが分かりやすかったね。昔は暴れ川だったらしいから、それが想像できる。

 

コ:この展望デッキ、近所だったら週イチくらいで行くと思う。

 

D:おまえポケットにトリスとか隠していくだろ。ダメだからな!

 

コ:まあそういう地域ではあるんだけど、展望デッキは飲食禁止なのでそれだけ気を付けてください。

 

■川崎の今と昔を体感する

 

D:で、今度は下に降りてからの旧東海道ですよ。川崎といえばおれらはほら、クラブチッタが根城みたいなもんでさ。初めてライブをやったのもクラブチッタだし。そのクラブチッタの裏に旧東海道が通っててビックリした。

 

コ:そうそうそう。川崎区とか工業地帯は当時はなかったから埋め立ての影響とかで海が遠くなったってのもあるのかもしれないけど、旧東海道が今の川崎の中心地であるところを通ってるんだなあって。

 

D:ね! 川崎のこと宿場町なんて意識しないもんね。戦争などで建物的な遺構は失われてしまって、「昔から残っている何か」は町割りくらい? おれなんかそれくらいで十分興奮できるけどさ。

 

コ:確かにね。全行程歩いてないけど、割とこの辺の川崎宿あたりは歩道も整備されてて歩きやすくなってる。昔の良さをだしながら、今の人にも歩きやすくというか。

 

D:途中の「東海道かわさき宿交流館」でコスプレをしたじゃない? 小田原城以来のTシャツ侍みたいな(笑)。この連載のサムネイルみたいな。あれコーヘイすごい似合ってたよ。

ⓒ歴史人

コ:そういう人なんだろうね(笑)。侍とかの恰好をさせると5秒で斬られる人みたいになっちゃうけど、庶民の服装をさせたら、オレにかなうやつはいない。庶民の頂点だから。

 

D:庶民に頂点あるの?

 

コ:あるよ。庶民ならどんな格好でもいける。

 

D:それにしてもしっくり来てたねえ。2人で写真撮りましたけど、あの交流館、見どころ多かったね。

 

コ:そうそうそう。川崎宿の巨大ジオラマとかあってさ、宿の広さや長さがこんなに広かったんだって実感できた。

 

D:スタッフ含めてまじまじと観ちゃったよね。しかも川崎の歴史とかを説明してくれる学芸員的なお姉さま?がいて。あれ良かったよ。

 

コ:そのお姉さんが言ってたんだけど、行きは日本橋を出発して1日でだいたい戸塚まで行くらしくて、川崎宿は休憩程度の利用だったんだって。でも帰りは川待ち・船待ちで賑わって、さらにお金の余裕のある人が江戸に入る前に泊まる宿だったって言ってた。なるほどな~って。

 

D:絶対必要なわけじゃないけど、あると便利な宿。だから東海道53次の中でも最後のほうにできたみたいで「新宿」という地名も残ってるみたい(川崎宿は新宿町、砂子の2つの町から始まって後に久根崎・小土呂の2町が加わった)。たぶん旅の帰りに川崎宿で疲れと汚れを落としてから、多摩川を渡って江戸に入るみたいな感じだったんだろうね。

 

コ:ああ、なるほど。

 

D:その後万年屋跡と六郷の渡しを見て、タクシーで武蔵小杉に向かったわけだけども、コーヘイはもろ近くに住んでたよね。

 

コ:住んでたし、なんで陣屋町とか御殿町とかの地名が付いているのかモヤモヤしてた。で、その理由が分かったのはいいんだけど、やっぱあのクランクは地元では渋滞する場所として有名なのよね。庶民にとっては「ただ混む場所」。

 

D:ははははは。小杉御殿の防御のためのクランクが今でも街中に残ってるってのはなかなかよ? だけどあれ、交通の便をよくするために斜めに道を通すらしいんだよね。

 

コ:そうそう。小杉御殿の重要度は分かるけど、やっぱ渋滞なくしたから通さしてくんね? みたいな感じだとい思うんだよね。徳川の功績は分かるよ? とっておきたいのは分かるよ? だけどすげえ渋滞ヤベえんだって。丸子橋までつながるから。来年くらいにはクランクがなくなるって話です。

 

D:でもそれでいいんだよね。車道は斜めに通っちゃうんだけど、クランク自体は生活道路として残すみたいだし。だから工事が終わったら安心して遠い目をしに行ってほしいですね。今あそこで遠い目すると、轢かれるから(笑)

 

コ:今回の取材は特別な場所に行ったわけじゃないんだけど、なんか面白いなあって思ったなあ。

 

D:そうだね。この後の二ヶ領用水もさ、南武線の真下をくぐるところがあって。こんなのよく許してるなっていうくらいだよね。

 

コ:そう。おれも初めて通りましたけど、あんな道あるんだ~って。あれはすごい! 宿河原駅から二ヶ領用水沿いに登戸方面へ歩いていけばあるので、ぜひ! この行程、面白かった。

 

D:意外とあるんだよね、オモロいところが。わざわざ遠くに行ってないし、近場だし。でも視点を変えると面白いところがいっぱいあるよね。

 

コ:ってことで今回の遠い目ポイントは……★3です。理由は、まあ地元というとこだけかな。あとは情報がフレッシュですごいんだけども、特別すごくはない。

 

D:はははははははは。いや分かるよ、おれも★2.5。実際、これくらい面白いのが日本にはアチコチにあるって思うんだよね。川崎に限らず、これを観ている皆さんの周りにも、実はこれはこういう理由があってここにある、みたいなのがそこら中にある。それを楽しもうよってことで、だからこれ基準だよ。

 

コ:そうですね。基準な感じがした。

 

D:これからもね、なんてことないところを周って面白がりたいよね。

 

コ:そんなエリア場所だからこそすぐ行けるし、背伸びしなくても行ける場所を紹介していきたいですね。

※MAP-ITの地図を元に編集部で作成

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Mummy-D&KOHEI JAPAN(まみーでぃーあんどこーへいじゃぱん)
Mummy-D&KOHEI JAPANまみーでぃーあんどこーへいじゃぱん

Mummy-D(兄)
1970年横浜市生まれ。ラッパー、プロデューサー。1989年に宇多丸と出会いRHYMESTERを結成。日本のヒップホップ・シーンを、黎明期から開拓、牽引してきた立役者。近年は益々旺盛な音楽活動に加えて、役者業や、歴史好きが高じて、歴史にまつわるトークショウに登壇したり、桑名市の歴史観光PRアドバイザーを務めるなど、活躍が多岐にわたる。近作に6月リリース、ライムスター・アルバム『Open The Window』(Billboard週間8位/Billboard配信1位/オリコン週間12位)。キャリア34年目にしてソロデビュー! Mummy-Dシングル「同じ月を見ていた feat. ILL-BOSSTINO」配信中。2024年2月16日にはツアーファイナルとして日本武道館公演を大成功させた。
HP: https://www.rhymester.jp
Instagram: @mistadrunk

 

KOHEI JAPAN(弟)
1971年横浜市生まれ、ラッパー、プロデューサー。1994年、ラッパーのKINらとメローイエローを結成。マチズモとは一線を画す、等身大でユニークな世界観が、その後の日本のシーンに多大な影響をもたらしている。またソロアーティストとしても活躍。「生活レベルの喜怒哀楽」を巧みにヒップホップに昇華して、報道番組、新聞各紙などでも特集されてきた。兄とともに歴史好きとしての一面も持ち合わせ、明治維新150年という節目に、佐賀藩の歴史をラップで紹介、肥前名護屋城跡PRムービーの楽曲制作を行うなどの活動も。近作に8月リリース、KOHEI JAPANシングル「Dance In The Dark」が配信中!
Instagram: @koheijapan_

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