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テレビの「チャンネル争い」がきっかけで妹を刺殺… 「サブスク」や「見逃し配信」がなかった昭和期の“悲劇” 【戦後犯罪史】

世間を騒がせた事件・事故の歴史


TVer、Netflix、YouTube等々の動画サービスが充実している現代、観たいテレビ番組をめぐって家庭内で対立する「チャンネル争い」がノスタルジーの対象となって久しい。しかし、昭和期には痛ましい殺人事件にまで発展することもあり、1978年には埼玉県で中学2年生の兄が妹を刺殺、1980年には徳島県で中学1年生の弟が姉を射殺している。なぜ、ただの「チャンネル争い」が悲劇につながってしまったのだろうか?


 

■昭和の「チャンネル争い」とは?

 

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 日本においてテレビが一般家庭に普及したのは、1959年のいわゆる“皇太子ご成婚”が大きなきっかけだった。この時期から、白黒テレビは洗濯機、冷蔵庫とともに「三種の神器」の一つとされるようになる。以降、家庭内でテレビは娯楽の中心となり、一般的には一家に一台、家族全員が集う居間に設置されるようになった。

 

 当初は録画ツールがほとんどなかったため、テレビ番組は一期一会の存在だった。ドラマやアニメには再放送があったものの、その再放送さえ一話見逃せば次にいつ観られるか分からなかった。

 

 このような環境下で、観たい番組が異なることで家族が対立し、これを「チャンネル争い」と呼んだ。テレビの普及からカラー化を経て、ビデオデッキが広まる1980年代中頃までの約30年間、全国各地で激烈に展開されていた「チャンネル争い」は、昭和における家族のコミュニケーションの一風景として懐かしがられることが多い。

 

 しかし、家族の関係が険悪になるケースもあり、嫌な思い出として記憶している人もいるのではないだろうか。なにしろそれは、家族間の殺人事件の原因にさえなったのである。

 

■どのアニメを見るかで言い争いになり…

 

 1978年は、『ザ・ベストテン』や『吉宗評判記 暴れん坊将軍』がスタートした年である。カラーテレビの普及率は94%を超えていた。そんな年の42016時半頃、埼玉県浦和署に男児らしき声で「妹を殺した」という旨の電話が入った。

 

 発信元の家(与野市)に警察官が駆けつけると、中学生ぐらいの男児が呆然と佇んでおり、小学高学年ぐらいの女児が台所でぐったりと倒れていた。女児の首の周りには刃物で刺された跡があった。男児はその家の長男で中学2年生のA、死亡が確認された女児は次女で小学6年生のBだった。

 

 その日の夕方、それぞれ学校から帰宅した兄のAと妹のBはテレビを観て過ごしていた。両親は仕事に出かけており、中学3年の長女もまだ学校から帰っていなかった。16時から『水戸黄門』の再放送を観ていた2人は、次にどの番組を観るかで言い争いになった。

 

 Aは『さるとびエッちゃん』(1715分~)を、Bは『みつばちマーヤの冒険』(1730分~)を観たいと主張。どちらも明るく、ほのぼのとした作品だが、それが激しい争いの原因となった。

 

■溜め込んでいた不満が、親の留守中に爆発

 

 親子間のチャンネル争いの場合、親が子どもを強引に封じ込めるか、子どもの勢いに親が押し切られるかで収束するのがよくあるケースだった。しかし、兄弟姉妹間の争いはなかなか収まらないことも多く、AとBの兄妹もその例に当てはまった。Aの証言によれば、2人がチャンネル争いでケンカをするのは初めてではなく、Aはたびたび観たい番組が観られないことに不満を感じていたという。

 

 また、父親の在宅時にチャンネル争いになると「兄であるお前が悪い」と強く叱られることも不満を溜め込む要因だった。妹に対しては憎悪さえ感じていたようである。

 

 この日、『さるとびエッちゃん』か『みつばちマーヤの冒険』で争いとなったことで、溜まっていたものが一気に暴発した。Aは近くにあった果物ナイフでBの首に切りつけ、複数回突き刺した。そして、血まみれになって倒れた妹を台所まで運んだのだった。

 

 もう一度確認すると、Aが警察に電話したのは16時半ごろである。警察が到着した時間は明確ではないが、通報から45分以上かかったとは考えにくい。結局、Aは『さるとびエッちゃん』を観られなかったのではないだろうか。

 

次のページ■激しい口論の末、父親の猟銃を持ち出し…

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ミゾロギ・ダイスケ 

昭和文化研究家、ライター、編集者。スタジオ・ソラリス代表。スポーツ誌編集者を経て独立。出版物、Web媒体の企画、編集、原稿執筆を行う。著書に『未解決事件の戦後史』(双葉社)。

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