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天皇からも藤原家からも頼られる安倍晴明の「ウラの顔」 本当に陰陽道の達人だったのか?

日本史あやしい話42


天変地異を占い、悪霊を祓い退けて国家の危機をも救ったとされる陰陽師界のスーパースター・安倍晴明。大河ドラマ『光る君へ』でも活躍しているように、人の生死にまでかかわることができる霊能力者として称えられていた。しかしその実、裏を返せば、なにやら良からぬ動きも見え隠れ。晴明自身が名声を得るために策を弄したと見られることもあるのだ。それはいったい、どういうことなのだろうか?


 

■陰陽師界のスーパースター?

 

『前賢故実』安倍晴明

 

 安倍晴明といえば、式神と呼ばれる鬼を手足のごとく操って、人をも殺すことができるとまでいわれた、陰陽師界のスーパースター。泰山府君祭を執り行って死者の命を救ったばかりか、干ばつで多くの人々が苦しむ中、雨乞いの五龍祭を催して大雨を降らせたこともあったとか。

 

 もちろん、いずれも伝承の域を出ないお話。それでも、花山天皇や藤原道長などに仕えて、困ったことが起きる度に呼び出されては占いを命じられ、それを政の指針としていたというのは、どうやら史実のようである。

 

 政敵であった甥の伊周が大元帥法と呼ばれる修法を用いて道長を呪詛したことがあったが、これも晴明が見破って危機を救った。

 

 道長が物忌みのため、家に籠って外界との交渉を絶っていたとき、精進潔斎しなければならないにもかかわらず、贅沢な瓜を献上してきた者がいた。これを怪しんだ道長が晴明に占わせると、瓜に毒気があると出たからビックリ!

 

 そこで一気に刀を振り下ろして瓜を真っ二つにするや、頭を斬られた毒蛇が渦巻く姿が現れたとか。道長を呪った張本人は突き止められなかったものの、見事、道長の命を救ったとして、褒め称えられた。

 

 国家の異変を察知して奏上することも、一度や二度ではなかったといわれる。

 

 ところが、史実としての晴明像に目を向けてみると、話はかなり異なるようである。一言でいえば、何とも遅咲きの、冴えない官吏像が浮かび上がってくるのだ。

 

■実は、かなり遅咲きの冴えない官吏だった?

 

 まずは彼の生い立ちから振り返ってみることにしよう。その出自は正確にはわからないが、陰陽師として名高い賀茂忠行とその子・保憲のもとで陰陽道を学んだことは間違いなさそうだ。

 

 それでも、40歳になった時点では、未だ、天文得業生という研修生の身分のまま。念願叶って陰陽師としての官職を得たのは、41歳を過ぎてから。正七位下に相当する天文博士に昇進したのは52歳。

 

 官人陰陽師の筆頭にまで出世したのは、なんと、65歳にもなってからのことであった。まさに、相当な遅咲きと言うべきか。能力がなかったからなのか、単に運に見放されていただけなのかはわからないが、本人は、忸怩たる思いを抱いていたことだろう。

 

 師匠筋にあたる賀茂保憲などは、35歳の頃には早くも従五位下(最後は従四位上)の殿上人となっていたから、能力の差は歴然。はっきりいって、この頃までの晴明は、師匠には期待をかけられていたとはいえ、世に認められるほどの優れた陰陽師ではなかった。

 

 ちなみに、この保憲が亡くなったのは977年のことであるが、晴明にとっては、これがターニングポイントになったようだ。晴明が、いよいよ本性を剥き出し、名誉挽回とばかりに、本格始動し始めたからである。それは、師匠の死の10年余り後、晴明が70歳になろうとしていた頃のことであった。

 

 ただしその方法は、決して褒められたものではなかった。何と、師匠の手柄を乗っ取るというものだったからである。

 

次のページ■師匠の手柄を乗っ取った策謀家だった?!

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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