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【偉人メシ】「あの偉人どんなものを食べてたの?」グルメキッズも知りたい!人気の戦国武将・織田信長が好んだ〝必勝サプリメント〟

親子でチャレンジ!偉人メシ


誰もが毎日元気に過ごすために欠かせないことの1つが、食事!それは今も昔も変わらない生きていくための大切な習慣です。まだ、今のようにハンバーガーやカレーライスが日本に無かった頃、「教科書に登場するの〝あの〟偉人は、どんな料理を好み、どんなご飯を食べていたんだろう?」そんな疑問を解決するのが、偉人メシです。


 

 

「歴史は苦手!でも料理や食べることは大好き!」というキッズたち、教科書に登場する歴史上の人物たちが食べていたといわれる料理を作ってみませんか?

 

料理を監修してくれるのは、食事復元研究の第一人者でまもなく御年90歳ながら現役で大活躍中!食文化研究家の永山久夫先生!

「でも、偉人たちが食べていたご飯では、栄養が足りない・・・。」そんなお悩みを解決してくれるのは、人気料理研究家のきじまりゅうたさん!

 

令和版にアレンジした栄養満点&映える『偉人メシ』にも、親子でチャレンジしてみてね!

 

 

 

今回は、戦国武将の中でも人気の高い織田信長!彼はどんなご飯を食べていたのかな……?

 

■織田信長ってどんな偉人?

 

「まだ歴史の授業がはじまっていないからダレソレ!?」というキッズもいますよね。

まずは、織田信長という人物がどういう人物だったのかを紹介します!

織田信長の肖像画©国立国会図書館デジタルアーカイブ

天文3年(1534)、尾張国(おわりのくに)の戦国大名、織田信秀(おだのぶひで)の子として生まれたのが織田信長です。尾張国は、現在の愛知県西半部です。

 

名門家に生まれた信長は、子どもの頃、腰(こし)に縄(なわ)を巻(ま)いてひょうたんやわらじをぶら下げて歩き、悪友と悪さをくり返すなど、「うつけもの」(うっかりしている人)と呼ばれていたと言われています。

 

そんな一風変わり者の信長でしたが、父の死によって家をついだことを機にメキメキと頭角(とうかく)を現(あらわ)していきます。有名な桶狭間(おけはざま)の戦いで今川義元(いまがわよしもと)を破(やぶ)り尾張国を統一、美濃国(今の岐阜県南部)、近江国(現在の滋賀県)などに領土(りょうど)を広げていきました。

 

さらには、姉川(あねがわ)の戦いで朝倉義景(あさくらよしかげ)に、長篠(ながしの)の戦いで武田勝頼(たけだかつより)にも勝利して、天下統一目前……!

天正10年(1582)、家来である明智光秀(あけちみつひで)の裏切り『本能寺の変』により、49歳で命を落としてしまいました。

 

 

 

たくさんの戦にも勝利してきた織田信長が好んで食べていたごはんとは……?

 

■焼き味噌は、信長の〝必勝サプリメント〟「焼き味噌湯漬け」

信長が好きだった「焼き味噌湯漬け」を再現したよ!

 

 信長の好物「焼き味噌湯漬け」のレシピ

 

 【材料(2人分)】炊いた玄米:適量 熱湯:適量 焼き味噌:適量

 

 【作り方】

  ①玄米を炊飯する。

  ②炊き上がったらごはんを器に盛り、味噌をのせ、熱湯を注ぐ。

 

 

 

時代の変革者(へんかくしゃ)であった織田信長は、「湯漬け」を好んだと言われています。

現代のお茶漬けに近い、ご飯に湯をかけただけの即席めしです。

 

戦への出陣(しゅつじん)の時はもちろん、何か大きな事に当たる前には、忘れずに湯漬けをさらさらとかき込んでいたそう。腹八分目(はらはちぶんめ)くらいの軽食(けいしょく)ですが、気持ちを落ち着かせ、自信をさらに強めるする効果(こうか)があり、信長にとっては先手必勝の「勝負メシ」でした。

 

湯漬けには、味付けとして焼き味噌(みそ)がつきもの。信長の場合の焼き味噌は、尾張(愛知県)特産の大豆だけで作った豆味噌が主な原料でした。

しかし、作り手によってその作り方はそれぞれ異なります。味噌を直火(じかび)であぶっただけのシンプルなものもあれば、すりしょうが、すりごまなどを混ぜ、さらに甘味やお酒を加えて、鍋にごま油を垂(た)らして焼き上げるといった豪華(ごうか)なものまであります。

鷹狩(たかが)りが好きだった信長の場合は、すりしょうがやお酒に加え、鶏肉(とりにく)を細かく刻(きざ)んで混ぜた焼き味噌などを作っていた可能性が考えられます。

 

おいしいだけではなく、鶏肉と味噌のタンパク質が合わさると、濃度(のうど)の高いタンパク食となり、腕(うで)や足の戦う筋肉を発達させるうえで役に立ちます。また、山鳥や水鳥などの胸肉に多いカルノシンという成分が、戦い続けて溜まりやすくなった疲労物質(ひろうかいふくぶっしつ)を解消する働きをしてくれます。

 

現在でもよくアスリートたちがプロテイン(タンパク質)サプリメントをとったりしますが、信長の焼き味噌は、戦を勝ち進むための「戦国サプリメント」だったのです。

 

実際、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いの時には、出陣直前に湯漬けを平らげてから馬に乗り、合戦場に向かって激走して、見事に今川義元を倒しています。信長は、この勝利をきっかけに、天下取りに向かって一気に走り出すことになったのです。

 

 

食事が発達していなかった戦国時代にはとても力のつくごはんだったんだね。

ただ、現代の私たちにとって、これでは栄養が足りない……ということで、

次回は、信長が愛した〝必勝サプリメント〟焼き味噌湯漬けを令和版に大胆アレンジ!お楽しみに!

 

 

 

歴史人2021年11月号「偉人メシ」より


 

監修・文:永山久夫

ながやま ひさお/1932年福島県生まれ。食文化史研究家。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究も行う。新聞や雑誌、テレビなどでも活躍中。

 

料理監修:きじまりゅうた

きじま りゅうた/1981年東京都生まれ。料理研究家一家の三代目。男性のリアルな視点から家庭料理を提案している。NHK「きじまりゅうたの小腹すいてませんか?」を始め、テレビや雑誌等を中心に活躍中。

 

編集:杉田俊人 撮影:渡部聡 スタイリスト:吉岡彰子

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過去記事

永山久夫ながやまひさお

1932年福島県生まれ。食文化史研究家。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究も行う。新聞や雑誌、テレビなどでも活躍中。

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